2019.12.05

野村忠宏は「自分の柔道」を貫いた。
五輪3連覇が重圧ではなかった理由

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AFLO

 初戦の2回戦はララ(ドミニカ)を相手に、いきなり右内股を連続で仕掛けてペースに乗ると、1分12秒には右背負い投げで"有効"を奪った。2分31秒には右内股で"技あり"と攻めまくり、2分46秒に右背負い投げで一本勝ち。3回戦は前年の世界選手権の3位決定戦で対戦したグッセンベルク(ドイツ)だったが、53秒に右背負い投げで一本を奪った。

 さらにアルバルシン(アルゼンチン)との対戦だった4回戦では、開始直後から威圧感を見せつけた。相手が苦し紛れの内股を出してきたのを見逃さず、開始14秒に内股すかしで一本勝ち。準決勝では、前年の世界選手権優勝者、崔敏浩(韓国)を破って勝ち上がってきたツァガンバータル(モンゴル)と対戦すると、前に踏み込んできた相手に合わせて開始23秒に右大内刈りで一本を決めて、決勝進出を決めた。左を使えないなかで、計算しつくした柔道だった。

 決勝では、戦い方をガラリと変えた。相手のヘルギアニ(ジョージア)は03年ヨーロッパ選手権優勝者で、間合いを詰めてレスリングのような柔道を得意とする選手。準決勝でも、終了直前に肩車で"技あり"を取って勝ち上がっていた。

「今回のアテネは得意の背負い投げを中心にして勝てたし、試合をしていても体中に力がみなぎっているように感じていました」と言う野村は、右釣り手をしっかりと突っ張って相手に間合いを崩させないようにすると、力で入ってくる技もうまくかわし、4分には相手に3つ目の指導で"警告"を受けさせた。そしてそのまま押し切り、五輪3連覇を決めた。

 野村は勝利を派手に喜ばず、試合後には「決勝では、結局、技が出なかったけど、いい試合はできたと思います。この大会では、現在の自分にできる最高の柔道だったのではないかと思います」と振り返った。

 ただ、その数日後にインタビューをした時には、そのニュアンスは少し違っていた。