井上康生、シドニー五輪金メダル秘話。母と一緒に立った表彰台 (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

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 その練習が、井上に自信を植え付けた。父の明さんは、シドニーに入って久しぶりに会った井上が、すでに優勝を確信したかのような落ち着きを見せていたことに驚いたという。試合前に会うことを遠慮していた親戚に対しても、自分から誘って一緒にお茶を飲んで歓談したほど余裕があった。

「自分は去年、世界チャンピオンになっている。その後もおごることなく、世界一の練習をしてきた。世界一の男が、世界一の練習をしてきたのだから負けるはずがない」

 こう自分に言い聞かせていた井上は、柔道初日に60kgの野村忠宏と48kgの田村亮子が優勝した姿を見ても、それをプレッシャーには思わず、「やっぱり強い奴が勝つんだ」と思って安心したという。

 その姿勢は試合当日になっても変わらなかった。

 朝の計量に出発する時は、コーチの高野に起こされて出発したほどだった。昼になり試合会場への出発時間が迫った時も、高野が井上の部屋をのぞきに行くとまだ眠っていた。高野は、自身が出場した84年ロサンゼルス五輪だけではなく、コーチとして参加した92年バルセロナ五輪と96年アトランタ五輪でも担当選手にメダルを獲らせていなかった。そんなプレッシャーに襲われていた高野に対し、井上は「大丈夫ですから。僕は勝ちますから」と平気な顔で言い切った。

 9月21日、2回戦から登場した井上は、最初の相手だったケセル(キューバ)との組み手争いが始まったとたんに、「やっぱり研究してきているな」と気がついたという。「細かい部分では駆け引きがあって、どれもが厳しい戦いだった」と言うが、それでも最初の試合は開始18秒に大外刈りで一本勝ちすると、3回戦のゴウイング戦(ニュージーランド)では背負い投げを繰り出して16秒で仕留めた。

 反則覚悟で組手を嫌う相手を冷静に見据え、ワンチャンスを見逃さずに自分の技を一閃させる、凄みさえ感じさせる柔道だった。準決勝のグイド(イタリア)にも鮮やかに一本勝ちした井上だったが、決勝のギル(カナダ)との一戦はさらに鮮やかに勝利した。

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