柔道界の歴史を作った田村亮子の名言。「やっぱり私も人間だった」 (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

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 初戦の2回戦は、直前に出場が決まった趙順心(中国)。世界選手権で2大会連続の銀を獲得しており、今回も田村の最大のライバルと目されているサボンに一本勝ちしたこともある選手だ。なかなか攻められない展開になったが、残り1秒で有効を取って勝利。次のルスニコワ(ウクライナ)戦は、開始2分25秒に払い腰で一本勝ちと、順当に勝ち上がった。

 続く準決勝は微妙な勝負になった。対戦相手は、1回戦でメダル候補のひとりだったニシローロッソ(フランス)を破って勝ち上がっていた、北朝鮮のチャ・ヒョニャン。

 残り1分20秒で、主審が田村に警告を与えた。両者ともなかなか技をかけられない展開で、ともに注意を受けてポイントが並んでいた。その状況でリードされるのは大きな痛手だ。同じ北朝鮮選手と戦った、4年前の決勝の記憶が脳裏をよぎった。だが、副審のアピールにより、主審は田村への警告を取り消した。

「みなさんは準決勝をどうこう言いますけど、私にとっては全試合がヤマでした。五輪ですから緊張するし、不安もある。自分自身の中にいる、弱い自分と強い自分の葛藤に勝つこと。相手ではなくいかに自分の柔道をするか、という戦いでした」

 こう話す田村は、勝負に固執するしたたかさを見せた。終盤に「旗判定になるな」と考えると、最後は攻めに出て優勢を印象づけた。だが「あまり無理はしなかったですね。4年前は無理に行って負けたから、その点では試合を冷静に判断して戦えました」と、アトランタ五輪の教訓を生かして判定勝ちを収めた。

 決勝は、準々決勝でサボンを破っていたブルレトワ(ロシア)だったが、田村本人も予想していなかったような開始36秒で、右内股を決めて制した。8年間追いかけ続けた金メダル獲得。観客席が大歓声に包まれる中で、その瞬間は左腕を突き上げて歓喜の表情を見せた田村だったが、時間とともに表情は安堵するものに変わった。

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