アトランタ五輪柔道代表、中村三兄弟がずらりと並んでメダル獲得 (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

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 一方、兼三は95年の全日本体重別で、同年の世界選手権で優勝した秀島大介に1対2の旗判定で敗れて初代表を逃していた。だが、その後はユニバーシアードとアジア選手権で勝ち、96年2月のフランス国際でも勝って実績を積み上げた。そして、ライバルの秀島が1回戦で敗退した全日本体重別で優勝し、代表を決めた。

「本当に感動したのは次の日の朝でしたね。起きてから『すごいことやっちゃったな』って。3人ですからね」と行成は話す。

 そして佳央は「もちろん狙いますが、3人とも優勝はありえないでしょう。欲張らずに、メダルをもらえるところまではいきたい。色に関係なく、メダルが3つ揃えばいいですね」と冷静に話していた。

 最重量級から試合が行なわれたアトランタで、三兄弟のトップバッターは佳央だった。前日の95kg超級で、前回銀メダリストの小川直也がメダルを逃したあとの登場。このクラスは、軽重量級だった76年モントリオール五輪を最後に日本勢はメダルに手が届かず、世界選手権でも89年以降は95年の岡泉の銅のみ、と世界のレベルが高い階級だった。

 行成が「兄貴の柔道の特色は、確実にポイントを押さえて自分の形に持っていくところ」と評する佳央は、準々決勝で91年世界王者のトレノー(フランス)にタックルまがいの"朽ち木倒し"を決められ、開始9秒で一本負けしてしまった。さらに敗者復活戦でも、山下泰裕監督が「なんで中村だけがとられたのかわからない」という不可解な"指導"を何度も受けて、1対2の旗判定で敗退。3位決定戦進出を逃して7位にとどまったのだ。

 2番手の兼三の登場は、前日の78kg級で古賀稔彦が日本男子初メダルとなる銀を獲得したあとだった。「はじめから飛ばしていって、しつこい柔道で相手に嫌気がさしてきたところで最後のとどめを刺す」と行成が評する粘りの柔道が兼三の持ち味だ。

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