田中恒成vs田口良一。一度は白紙も奇跡の実現へ。その軌跡を追う (2ページ目)

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by AFLO

 そんな田口は高校卒業を控え、「もう一度ボクシングを」とワタナベボクシングジムの扉を叩く。本人は、それを"運"だと言う。

「高校時代、いつもJR京浜東北線で家に帰っていたのが、その日だけたまたま山手線で帰ったんです。ちょうど五反田駅で電車が止まった時、車内の窓から見えたのがワタナベジムでした。直感で『このジムに入ろう』と決めたんです。

 そのワタナベジムで、会長や内山(高志)さん、当時のトレーナーに出会えました。このジムでなければ、僕は世界チャンピオンにはなれなかった。あの日、もし車両が違ったら、もし向いている方向が反対だったら、運命は違っていた」

 田口は2007年に全日本ライトフライ級の新人王を獲得。一歩ずつ階段を登り、2013年4月にはプロ20戦目にして日本ライトフライ級王者となった。しかし同年8月、井上尚弥(大橋)に判定負けを喫し、王座から陥落している。

 この試合を会場で見ていたのが、プロテストを目前に控えた高校3年の田中だった。

「もちろん、井上選手は強かった。ただ、とてもいい試合だったんです。田口選手、強いなと。言葉では言い表せないんですが、田口選手に何か感じるものがありました」

 その後、田口は井上戦から1年4カ月後となる2014年の大晦日に、WBA世界ライトフライ級王者アルベルト・ロッセル(ペルー)を判定で下し、プロ24戦目にして世界チャンピオンとなっている。

 対照的に田中は、世界チャンピオンまで最短ルートを駆け上がった。

 プロ4戦目に原隆二(大橋)にKO勝ちし、OPBF東洋太平洋ミニマム級王者に。その後、2015年5月にWBO世界ミニマム級王座決定戦に勝利し、日本最速となるプロ5戦目で世界王座を獲得した。

 そんな田中が、初めて田口との対戦を希望する発言をしたのが2016年5月。2階級制覇を目指すためにミニマム級のベルトを返上し、ライトフライ級契約でのノンタイトル戦に勝利すると、リング上で「次は田口選手とやりたい」と、当時WBA世界ライトフライ級王者を3度防衛中のチャンピオンの名前を口にする。

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