【国際プロレス伝】ラッシャー木村への弔辞。涙の「気合ダァ」10連発 (3ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports/AFLO

「俺はな、これだけ馬場と試合をすると、とてもな、他人とは思えないんだよ。だからな、1回でいいからな、今度な、お前のことを兄貴って呼ばせてくれ。いいな、コノヤロー!」

「渕(正信)、秋田美人はどうだ? 秋田美人はいいぞ。渕、秋田美人をもらえよ、コノヤロー!」

「渕、お前な、いい加減にしろよ。こんなタイツのなかにマイクを入れて。マイクが病気になったらどうすんだ、コノヤロー! そんときはな、お前いいか、病院に連れて行けよ!」

 ラッシャー木村の、伝説のマイク・パフォーマンスは尽きない。

「あれは、ノアに行ってからかな。女房の店に久しぶりに来られてね。昔より、もうすっかり酒量が落ちて、話をしているうちにカウンターでウトウトしてしまって......。あれが、木村さんと呑んだ最後でした」

 木村は引退直後、脳梗塞で倒れ、右半身不随となって車イス生活を送った。公(おおやけ)の場には現れず、浜口たちが見舞いに行っても、頑(がん)として会おうとはしなかった。2010年5月に死去。死因は腎不全による誤嚥(ごえん)性肺炎。享年68歳――。

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