【国際プロレス伝】語り草となった
「田園コロシアム・こんばんは事件」 (2ページ目)
「当時、僕は長期欠場していて、そのころの状況がよくわかってないんです。何で選手がバラバラになってしまったのか。おそらく、"自分たちの道"ということで、それぞれに決めたんでしょうけど。
僕は吉原社長によく可愛がってもらったし、好きでしたからね。だから、『社長が敷いてくれた路線を行こう』『社長の意向に沿ってやろう』という想いしかなかった。吉原社長が発表されたように、新日へ乗り込むのがごく自然だと思っていました」
木村、寺西、浜口は「国際軍団」を結成。「我々は第3勢力となる」と宣言した。
そして、あの伝説の「田園コロシアム、こんばんは事件」である。
「JR大久保駅と新大久保駅の間にあった新宿区百人町のスポーツ会館で、木村さんと寺西さんと僕の3人は一緒に練習しましたよ。そこは、もともと木村さんがサンボの練習をしていたところでね。また、埼玉県の秩父で合宿をやったり、空手の指導者から空手チョップを教わったり、河原でナチュラルトレーニングをしたり。木村さんは大きな自然石を担ぎ上げて、頭にぶつけて頭突きの練習をしていました。
それで、10月8日に行なわれる蔵前国技館大会の前、9月23日に田園コロシアムに乗り込んだんです。僕たちの存在をアピールするためにね。そのとき、なぜか寺西さんはいなくて、木村さんと僕のふたりだけだったな。秩父から東京・大田区まで電車に乗って行きました」
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