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【男子バレー】日本代表と大阪ブルテオンの守備職人、山本智大の横顔「見返してやると思ったときが一番の転機」

  • 小宮良之⚫︎取材・文 text by Yoshiyuki Komiya

SVリーグ 主要選手インタビュー
山本智大/大阪ブルテオン 前編(全3回)

【「悩んだし、もがきました」】

「もっとできるんじゃないか?」

 中学3年でリベロへの転向を決めた山本智大は、野心に満ちていた。

心の底からバレーボールを楽しんでいると話す山本智大 photo by Sunao Noto心の底からバレーボールを楽しんでいると話す山本智大 photo by Sunao Noto

「僕が小さい頃、日本の男子バレーはラリーがあまり続かなくて。女子バレーのほうがつながっていましたね。だから男子を見ていて、"このボールは拾えるんじゃないか"と、密かに思っていました」

 山本少年の野望は、おごりでも無謀でも過信でもなかった。実際、彼はリベロとしてディグ(スパイクレシーブ)、レセプション(サーブレシーブ)で日本男子バレーに革命を起こした。それまで守備が堅牢とは言えなかった代表で、新たなプレースタイル、リベロ像を確立したのだ。

「ヤマモトには打つな!」

 それが世界で合言葉になった。

 控えめに言って、山本は日本バレーの構造を変えた。今や「拾う」「つなぐ」「攻め直し」の粘り強さは代表の真骨頂となっている。世界に対抗できるバレーの礎だ。

「悩んだし、もがきましたね。でもリベロとしてワールドカップ、ネーションズリーグ、2回のオリンピックを経験し、"山本はこういうプレーをするんだ"と見せられるようになって。日本のスタイルとして、"ブロック&ディフェンス"やレセプションのよさによって、世界に少しは衝撃を与えられたかなと」

 そう自負を語る山本の守備者の肖像とは──。

 現在31歳のリベロが見せるディグは、ほとんど神がかっている。"絶対に決まった"と思えた瞬間、奇跡的にボールを上げる。たとえばパリ五輪の準々決勝、イタリア戦では、相手の強烈なバックアタックをどう上げたのか、スロー再生で見ても理屈がわからなかった。驚くべきことに、直後のプッシュも地面すれすれ右手一本で見事に上げ、得点をアシストしたのだ。

 そんな神業の境地に、どうやってたどり着いたのか。

 山本はリベロになる前から、何度も何度もレシーブを繰り返してきた。膝と膝の間でボールを受ける型を作り上げ、その基本をどんどん応用していった。サーブやスパイクを受けるたび、自分の型を適応させた。リベロの進化と言うべきか。

 試合でコテンパンにされた経験はないという。勝負のなかで、アジャストすることもできたようだ。ただその過程で、変身を遂げる節目もあった。

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著者プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

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