2021.01.05

春高バレーで輝いたヒロインたち。カナの妹やドリームガールズの今

  • 高井みわ●文 text by Takai Miwa
  • photo by YUTAKA/アフロスポーツ

 しかし器用な未希でも、21歳という年齢でのセッター転向は簡単ではなかった。レギュラーに定着できないまま、2010年に東レを退団してビーチバレーに転向。その後、肩の手術を行なうなど順風満帆な選手生活ではなかったが、2015年まで現役を続けた。現在は、姉と一緒に子どもたちにバレーボールを教えるなど、競技の普及活動に携わっているという。

 東京都の女子バレーの強豪高校として、共栄学園を思い浮かべるファンも多いはずだ。特に有名なのは、1984年大会で準優勝して「下町のマコちゃん」と呼ばれた益子直美。だが、1995年大会を優勝したメンバーである熊倉由美も、明るい性格と守備力、身長168cmと小柄な体で打ち抜くパワフルなスパイクでファンを魅了した。

 1年生でチームの優勝に貢献して「ルーキー賞」を獲得した熊倉は、全日本ユースにも選ばれて世界選手権に出場。同大会も優勝して日本人初のMVPを獲得した。卒業後は先輩の益子と同じイトーヨーカドーに入団。1998年のリベロ制導入と共にリベロに転向し、Vリーグのサーブレシーブ成功率では常に上位にいた。

 その頃、筆者の取材に熊倉は「他チームのリベロで気になるのは佐野優子選手。魅力的なプレーを見せてくれますね」と話していた。熊倉より1歳下の佐野は、当時はまだ若手で目立つ存在ではなかったが、のちにロンドン五輪で銅メダリストになった。一方の熊倉は、日本代表に選出されることはあったものの、国際大会で活躍するまでには至らなかった。

 イトーヨーカドーが廃部となり、武富士に全体移籍をした2001年、熊倉はその移籍メンバーに加わることなく、22歳の若さで現役を引退した。その後、バレーボールを通じて知り合った同い年の山本隆弘(元パナソニック。北京五輪代表)と結婚。現在は解説者として活躍する山本を支えている。