【バレー】五輪出場ならず。どこで勝負するのかが見えなかった日本 (2ページ目)

  • 松瀬学●文 text by Matsuse Manabu
  • 戸村功臣/アフロスポーツ●写真 photo by AFLO SPORTS

 植田辰哉監督は言った。

「選手たちには戦う気持ちがあったけれど、それを勝利につなげられなかったのは私の責任。試合運びなど、監督としての失敗もあった。4年間、選手たちはよく成長してくれたと思う」

 当然、どの国の選手も成長する。女子よりも海外勢の伸び率が激しい男子の場合、日本は五輪に出場するレベルまでには到達できなったというわけだ。ツボにはまれば、ストレート勝ちしたオーストラリア戦のようなコンビバレーを展開する。だが緊張で委縮すれば、最下位のプエルトリコ戦の第1セットのようなチグハグな試合運びとなる。

 なぜか。「心技体」である。世界レベルの高さとパワーに対抗するための、技術も精度を欠き、メンタルも勝負強さがない。強化してきたサーブも、速いトス回しも、ブロックとレシーブの連携も、そして肝心のサーブレシーブも未成熟だった。コンビバレーのポイントとなるセンター陣の速攻もオーストラリア戦以外はほとんど機能しなかった。

 大会のデータを見る。福澤が107点で得点王になっている。チーム別の技術統計では、スパイク決定率が2位となっているが、ブロックが6位、サーブ8位、サーブレシーブ5位、スパイクレシーブ3位だった。どこで勝負しようとしたのかが見えないのである。

 確かに選手はよくやった。左のエース清水邦広は右足首の手術明けにもかかわらず、奮戦した。宇佐美も大会中の右目打撲のアクシデントを乗り越えた。だが、ホームというアドバンテージがありながら、世界で勝つための速くて巧くて正確なコンビバレーを発揮することはできなかった。

 チーム最年少は、北京五輪の時と同じく、25歳の福澤と清水である。新たな戦力が出てこなかったことに対し、もっと危機感を抱くべきだ。福澤が「力不足だった。一皮むけるようにイチから出直したい」と言えば、清水は「この悔しい思いは絶対、良い経験になる」と漏らした。だが、4年後に五輪切符を獲って、初めて良い経験となるのだ。

 これで植田監督は退任するだろう。次は中垣内祐一コーチか。いずれにせよ、世界で勝つには何が必要かを見極めなければいけない。

 ついでにいえば、今の大学、企業任せの強化方法でいいのか。人材確保から若手育成はどうなのか。ある程度の大型化を図りながら、日本の独自性を磨く。根本的な改革を断行しなければ、日本男子にとって、五輪の舞台はどんどん遠のいていく。

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