「勝てていたかも」。20年前、伊達公子は女王グラフを追い詰めた (3ページ目)

  • 長田渚左●文 text by Osada Nagisa photo by TISCH(takahashi office) 小菅孝●ヘア&メイク hair&make-up by Kosuge Takashi 西尾妹子●スタイリング styling by Nishio Maiko

――20年経っても「あのとき試合が続行されていれば、ウインブルドンのセンターコートで伊達さんがグラフに勝利していた」と思う人の数が今も多い のは、テレビの影響が幻影となっているのかもしれませんが、ご自身であの日のことで、今も忘れられない原風景のようなものはありますか?

「強いていえば、日没順延となったときコート内を見渡した、あの明るさですね」

――テレビに映し出された光は自然のものとは違うのでしょうが、テニスのできない暗さではなかったということですよね?

「テニスにはさまざまなところに心理戦や駆け引きがあります。まあ、日没もそのひとつだったということでしょうね」

――もし、ですけど。伊達さんが猛アピールすることも考えられましたよね。どこが見えないの? 明るいじゃないの? 試合続行可能です......と。

「それはそれで、リスキーなことになったでしょうから」

――それにしても、90年代の女子テニス選手たちはとびきりの気の強さと闘争心を持っていたように思いますが、いかがですか?

「そう思いますね。私も相当なものでしたが、私なんか、ヒヨッコ程度のかわいいもんでしたよ(笑) みんな自分がナンバー1になるためなら、人を蹴落とすぐらい何でもないという雰囲気が漂っていました。

  グラフなんて、試合直前ぎりぎりに来て、試合が終わるとシャワーも浴びずに帰りましたからね。あの頃のトップ選手はガードが固くて、自分というものを外に 出さなかった。互いに語り合うなんてことはなく、自分というものを隠す意識が強かったですね。世界には気の強い人は山ほどいると感じていましたね」

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