【部活やろうぜ!】五郎丸歩がキツすぎた佐賀工時代を語る「高校生らしい楽しい思い出はひとつもなかった」 (2ページ目)
【花園の舞台で頭が真っ白に...】
── 五郎丸さんといえば、キックの印象が強いです。高校時代からプレースキックの練習は繰り返していたのですか?
「プレースキックは、実は大学時代から本格的に蹴り始めました。高校時代は体も作らないといけなかったですし、なにより練習がキツすぎて、キック練習をする余力はあまり残っていなかった。ただ、花園が近づくと気分がソワソワして、少しだけ蹴っていましたけどね(笑)」
── 五郎丸さんは高校2年時と3年時に花園のピッチに立っています(1年時はメンバー入りしたものの出場なし)。やはり一番の思い出は花園での試合ですか?
「花園は負けた思い出しか残っていないです。苦い思い出しかない。高校2年の時に兄と一緒に出場できたことは大きかったですが、ベスト8をかけた準々決勝で東福岡に12-58で負け、高校3年時も同じ準々決勝で大分舞鶴に0-20で完封負け。どちらの試合も第1グラウンド(花園ラグビー場)で負けました」
── 花園はやはり憧れの舞台でしたか?
「うちはラグビー一家で、僕も3歳から競技をやっていたので、花園の試合はずっとテレビで見ていました。自分が出る・出ないとかじゃなくて、花園ラグビー場という場所は、秩父宮ラグビー場より、国立競技場より上で、自分のなかでは『聖地』でした。
なので、高校時代はプレッシャーがすごく大きかった。毎年1年間、ずっと花園を目指してやってきたので......。第1グラウンド(花園ラグビー場)に立った瞬間は、頭が真っ白になりました」
── 初めて花園ラグビー場のピッチを踏んだのは、高校2年の準々決勝?
「はい。準々決勝までは第2グラウンドか第3グラウンドで、第1グラウンド(花園ラグビー場)ではなかったです。第1グラウンドへの憧れが強すぎたので、少しパニック状態みたいになって、今でも何も思い出せないくらいです。何もできなかったですね」
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