ラグビー日本代表に競技歴わずか6年で到達 プロ契約、ニュージーランド挑戦...大久保直弥は新時代を切り開いた (3ページ目)
【日本人ふたり目のNZ州代表に】
大久保のラガーマン人生を振り返るにあたり、当時まだ珍しかったプロ選手となってニュージーランドに挑戦したことも特筆すべきだろう。
日本代表の「レジェンドWTB」坂田好弘がニュージーランドのカンタベリー大学に留学し、地元リーグでトライ王に輝いて日本人初の州代表選手に選ばれたのが1969年。そこから35年経った2004年、大久保はワールドカップ後にサントリーを辞め、退路を断って海を渡った。
大久保は2シーズン、本場ニュージーランドでラグビー生活の日々を送り、その実力が認められてサウスランド州代表に選出。ニュージーランドの州代表に選ばれた日本人ふたり目の選手となり、その後のHO堀江翔太、SH田中史朗らのチャレンジにつながっていった。
2008年、大久保は現役を引退。実家の豆腐店を1年間手伝ったあと、サントリーに指導者として戻り、当時指揮官だったエディー・ジョーンズHCを支えた。そしてジョーンズHCが日本代表の指揮官になると、大久保がサントリーの監督に就任。アタッキングラグビーを引き継いでトップリーグ連覇、日本選手権3連覇を成し遂げるなど、サントリーの一時代を築いた。
その後はサンウルブズや静岡ブルーレヴズのコーチを経て、2023年からU20日本代表監督へ。再びジョーンズHCの右腕となって、将来の日本代表を育てる仕事に邁進している。
「指導者はやっぱり、選手よりタフじゃなくちゃいけない。1パーセントでも選手がよくなる可能性があるなら、コーチはそこに100パーセントの思いをつぎ込まないと成り立たない仕事ですから」
誰よりも熱いハートを持つ「漢タックラー」は、今も心はそのままに熱血指導を続けている。
著者プロフィール
斉藤健仁 (さいとう・けんじ)
スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。
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