ラグビー日本代表に競技歴わずか6年で到達 プロ契約、ニュージーランド挑戦...大久保直弥は新時代を切り開いた (2ページ目)
【ラグビー転向1年で大学デビュー】
弟と違って、長男・直弥は高校でバレーボールに見切りをつけた。当初、進学した法政大では「アメリカンフットボールをやろう」と思っていたという。ところが、高校時代のバレーボール部の監督に強く勧められたこともあり、ラグビーを始めることになった。
「当時は(自分にラグビーが)合っているとは思ってなかったです。ラグビーは素人でしたし、ベンチプレスやウエイトトレーニングもやったことがなかったし......。ただ、スタートがゼロだったから、やればやるほど身についてくるので、面白かった」(東京サンゴリアスHPより)
運動能力が高かった大久保は、ラグビー転向わずか1年間で試合に出られるようになる。早々にレギュラーの座を勝ち取り、大学ラグビーシーンで名を轟かせた。
大学卒業後は社会人の強豪サントリーに入社。そしてラグビーを始めて6年目の1999年、平尾誠二監督(当時)に抜擢されて日本代表初キャップを得た。
ラグビーワールドカップには1999年大会と2003年大会に出場。2度目の大舞台では副キャプテンを任され、主将No.8箕内拓郎、副将WTB大畑大介とともに「1975年生まれトリオ」を組んでチームを引っ張った。
1999年大会では1勝も挙げることなく帰国したため、2003年大会にかける気持ちは強かった。
「見ているファンが夢を持てるようなゲームを、ひとつでも多く増やしたい。もしワールドカップでジャパンが1勝でも2勝でもしたら、ファンはグラウンドに戻ってくる」
オーストラリア・タウンズビルで行なわれたワールドカップ初戦の相手は、世界屈指の強豪スコットランド。大久保はチームの先頭に立ってタックルを繰り返し、後半20分まで4点差という粘りを見せた。しかし終盤、スコットランドに3トライを許して敗戦となってしまった。
ただ、日本代表の大健闘ぶりは外国人記者の心を揺さぶり、現地メディアは「ブレイブ・ブロッサムズ(勇敢な桜の戦士たち)」と大きく報じられた。それが今の日本代表の愛称となったことはよく知られている。
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