ラグビー慶応大の主将は医学部。解剖実習を乗り越え、打倒・帝京大へ

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

「黒黄のタイガージャージー」で知られる名門・慶應大学蹴球部(ラグビー部)。1899年創部で最古の歴史を持つ日本ラグビーのルーツ校に、今年初めて医学部在籍のキャプテンが誕生した。

医学部生として初めて慶應大ラグビー部の主将に選ばれた古田京医学部生として初めて慶應大ラグビー部の主将に選ばれた古田京 4年生同士で相談した結果、119代目となる主将に推されたのは、「文武両道」を地で行くSO(スタンドオフ)古田京(ふるた・きょう/4年)。就任4年目の金沢篤ヘッドコーチ(HC)も、「彼が入るとチームが落ち着く。ゲームの流れをコントロールできる」と賞賛するほど、指揮官の信頼の厚い絶対的な司令塔である。

 5歳のときに麻生(あさお)ラグビースクールで競技を始めた古田は、中学校から付属の慶應普通部に進学した。慶應高から慶應大の医学部に進学できるのは、一学年約700人のうち、たったの22人。そんな狭き門を、古田は突破した。

「評点平均が(10段階中)9弱あって、選択科目も取って医学部に進学できるというので、周りの人と相談して決めました。ただ、初めは大学でラグビーを続けるとは思っていませんでした」

 しかし、4年前の医学部進学を決めた直後、慶應高は13年ぶりに神奈川のライバル桐蔭学園高を下し、「花園」全国高校ラグビー大会に出場することになる。そして元日に行なわれた御所実業高(ごせじつぎょう/奈良)との3回戦――。雪の舞うなかでのロスタイム、相手のWTB(ウィング)竹山晃暉(現・帝京大4年)にサヨナラ逆転トライを喫し、14-19で敗戦してしまう。

「御所実業に勝てれば決勝に行けたと思いますし、もっと(決勝で)いい試合ができたはず」

 そのときに感じた悔しい思い、さらには高校日本代表にも選出されたことが18歳の青年の背中を押す。「医学部で勉強しながらも、体育会でラグビーが続けられるのか」とかなり悩んだというが、金沢HCにも相談した結果、古田は大学でも楕円球を追うことを決めた。

 慶應大の長い歴史のなかで、過去も医学部に在籍しながらラグビー部でプレーしようとした選手はいたようだが、昔は昼間から練習が行なわれていたこともあって、すぐに挫折してしまったという。それではなぜ、古田はラグビーと勉強の両立ができているのか――。

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