NBA伝説の名選手:ケビン・ガーネット 稀代のビッグオールラウンダーが貫いた激しい闘争心と献身的なプレー (2ページ目)

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

【新天地セルティックスでNBA王者に】

闘争心あふれるプレーは変わらず。セルティックスではNBA王座を手にした photo by Getty Images闘争心あふれるプレーは変わらず。セルティックスではNBA王座を手にした photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る しかし2004年を境に、ウルブズはガーネットの孤軍奮闘も実らず、翌2005年以降はプレーオフレースからも脱落してしまう。すると2007年夏にチームはドラフト指名権を含む7対1の大型トレードでガーネットをボストン・セルティックスへ放出。新天地でポール・ピアース(元セルティックスほか)、同年夏のトレードで加入したレイ・アレン(元シアトル・スーパーソニックスほか)と "ビッグスリー"を形成することになる。

 そこで、ガーネットは精神的支柱となってチームのディフェンス力強化に尽力し、2007-08シーズンに最優秀守備選手賞(DPOY)に選出された。セルティックスは、リーグベストの66勝16敗(勝率80.5%)をマークしプレーオフも勝ち抜き、NBAファイナルでは宿敵・ロサンゼルス・レイカーズを下し、17度目のチャンピオンに輝いた。ガーネットは当時契約していたアディダスのスローガン"Impossible is Nothing"をアレンジして"Anything Is Possible"と雄叫びを上げ、チームメイトたちと優勝の喜びを分かち合った。

 セルティックスは2010年に頂上決戦へ返り咲き、再びレイカーズとNBAファイナルで対戦するが、最終第7戦まで戦いきって3勝4敗で惜敗。2012年にはカンファレンス・ファイナルでマイアミ・ヒートに3勝4敗と、あと1勝でファイナル進出に迫りながら姿を消した。

 その後、ガーネットは2013年夏のトレードでブルックリン・ネッツへ移籍。2015年2月のトレードではウルブズへ復帰し、計21シーズンを戦い抜いた末に2016年9月に現役引退を表明した。

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