NBA伝説の名選手:ディケンベ・ムトンボ コート外の人道的活動含めて世界に影響を与えた「リング下の守護神」 (2ページ目)
【最高のディフェンダーとしての歩み】
1990-91シーズンのナゲッツは、ラン&ガン・オフェンスでハイスコアの試合をするチームだったが、1試合平均失点が130.8とディフェンスに難があった。しかしムトンボはルーキーシーズンから平均16.6点、12.3リバウンド、3ブロックショットをマークするなどの活躍で、ナゲッツの平均失点は107.6まで減少。1年目でオールスターに選ばれるなど、ムトンボはNBA屈指のディフェンダーとして認知されたのである。
3年目の1993-94は、ムトンボのキャリアで最も強烈な印象を残したシーズンだった。
ナゲッツは42勝40敗でレギュラーシーズンを終え、プレーオフ最後の椅子となるウェスタン・カンファレンス第8シードでプレーオフに進出。1回戦では第1シードのシアトル・スーパーソニックス相手に2連敗を喫したが、ムトンボは第3戦で19点、13リバウンドをマークしたのを皮切りに第4戦、第5戦で15リバウンド以上、8ブロックショットを記録。ムトンボがソニックスにとって大きな壁になり、2連敗からの3連勝でカンファレンス準決勝進出の原動力になった。ナゲッツはNBA史上初めて第1シードを倒した第8シードチームとなり、ムトンボがマークした5試合合計31本のブロックショットは、5試合シリーズにおけるNBAプレーオフ史上最多の数字だった。
第5戦、最後のリバウンドを奪って試合終了を迎えたムトンボがボールを抱えながらフロアに倒れ込んだシーンは、多くのNBAファンの記憶に残っている。
ムトンボはソニックスとのシリーズを次のように語っている。
「誰も我々がこんなことができるとは思っていなかったが、みんなが間違っていたことを証明した。自分を信じて一生懸命努力すれば、何でも可能だということを世界中に示した」
翌1994-95シーズンを皮切りに、ムトンボは年間最優秀守備選手賞を4度受賞する偉大なディフェンダーとしてのキャリアを不動のものにしていく。ブロックショットを決めたあと、"お前にショットを決めさせない!"という意味で人差し指を左右に振るFinger Wag(フィンガーワグ)は、ムトンボを象徴するジェスチャーだった。
平均11点、11.8リバウンド、キャリア最高の4.5ブロックショットを記録した1995-96シーズン終了後、ムトンボはフリーエージェントになり、アトランタ・ホークスへ移籍。
スティーブ・スミスとムーキー・ブレイロックのガード陣がオフェンスを牽引し、ムトンボとクリスチャン・レイトナーがフロントラインを構成する強豪チームとして地位を築くも、プレーオフではカンファレンス準決勝止まりだった。
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