町田瑠唯のWNBA移籍を実現させたホーバスHCの人脈。アメリカで活躍できる選手は「まだ3人いる」と売り込み中 (3ページ目)

  • 永塚和志●取材・文 text by Kaz Nagatsuka
  • photo by AFLO

---- 町田選手がアメリカに来てから、なにか会話されたのですか?

「ほんの少し。メールを送ったくらいですよ。試合のあとに『グッドジョブ。だけど、もっと積極的に攻めなきゃ』とか『自分をもっと信じて』とか」

---- それに対して、町田選手からの返信は?

「お決まりの言葉だけね(笑)。『サンキュー』とか『ベストを尽くします』とか。私は英語で送りますけど、彼女からは日本語で返してくれてもいいのですが、ルイも英語で返してくれます。ただ、しゃべるほうはとても静かでシャイな人物ですので、まだまだかな、といったところです(笑)」

 WNBAは12チームで構成され、町田の加入したミスティックスは東カンファレンスに所属。2019年には球団史上初のリーグ優勝を果たしている。ティボーHCは同リーグの最優秀コーチ賞を3度受賞した名将で、2008年の北京五輪ではアシスタントコーチとして女子アメリカ代表の金メダル獲得にも貢献。町田の存在については東京五輪以前から関心を払ってきたという。

 東京五輪で日本代表は、スピードとスリーポイント、そしてしつこいディフェンスで相手を翻弄した。町田はその体現者のひとりだった。平均7.2得点、大会1位の12.5アシストを記録し、準決勝のフランス戦では五輪記録となる18アシストを記録。世界にその名を轟かせた彼女のプレーぶりがアメリカ移籍を後押ししたとも言えるだろう。

---- 町田選手がミスティックスと契約する前に、ティボーHCと話をする機会はありましたか?

「彼のほうから連絡がきて、ルイがアメリカに来ることに興味があるかどうかを聞かれました。それで私がルイに尋ねると『関心がある』とのことだったので、ティボーHCとBT(テーブス/富士通レッドウェーブHC)をつなげたのです。そこから話は進んでいきましたね。私とティボーHCは数年来の知り合いなのです」

---- 日本代表が東京五輪で銀メダルを獲っていなかったとしても、町田選手のWNBA移籍は実現したと思いますか?

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る