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【F1】15歳の角田裕毅は「いい意味で変わっていて面白い」中嶋悟がホンダに推薦したらダントツに速かった (2ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki

【F4の角田はダントツに速かった】

── 中嶋さんが高く評価されていたんですね。

「ただ個人的には、当時SRSやF4といった育成プログラムは担当者に任せていたので、正直言うと、当時の角田の印象はそのくらいしかないんです。成績ではその年、大湯都史樹(おおゆ・としき)と笹原右京(ささはら・うきょう)がスカラシップを獲りましたから。

 やはり大きかったのは、中嶋さんの言葉でした。中嶋さんが拾ってくれていなくて、僕に話してくれていなかったら、僕も角田のことは印象に残っていなかったかもしれません」

── 結果として2017年、角田選手は日本のFIA F4に実質的なホンダワークスチームから参戦することになりました。

「2017年は、現場で担当者から『檄(げき)を飛ばしにいってください』と言われて、グリッドに行って少し言葉を交わしました。その時の印象も『この子が角田くんかぁ』というくらい。だから1年目は、本当に印象に残っていないんです。

 でも、成績を見ればランキング3位(ポールポジション4回・3勝)で、大湯や笹原と全然見劣りがしなかったんですよね。そして2年目の2018年は、開幕からダントツに速くてトップにしかいなかった(最終的にポールポジション8回・7勝でチャンピオン獲得)。

 そうこうしているうちに、7月くらいにF1の現場で(ヘルムート・)マルコさん(レッドブル・モータースポーツアドバイザー)と『ホンダとレッドブルで育成プログラムをやろう』という話になったんです」

── 2018年からホンダはトロロッソにパワーユニット供給先が変わり、2019年からレッドブルにも供給を開始することが決まった時期でした。

「日本人でF1の表彰台の真ん中に立ったドライバーはまだいないので、僕もマルコさんも『絶対にそれを実現させたい』というのをずっと話していました。僕としても、自分がF1活動に携わっている間に何としても日本人をF1に乗せたい、できれば表彰台の真ん中に立たせたい、という思いがあったんです」

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