中嶋悟が語る「セナの速さの秘密」■2014年特集『F1 セナから20年後の世界』 (3ページ目)

  • 川原田剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi photo by Murakami Shogo

 下手な人は周りがよく見えていないのでディフェンダーの近くにパスを出してしまったり、あるいはキックのスピンの量が多すぎたり、逆にうまくスピンがからなかったりしてボールがゴールラインを割ってしまう。

 野球でも同じだと思います。超一流のバッターはピッチャーが投げるボールと野手の動きを見て、「このボールの軌道だと、こういうふうにバットを振れば、二遊間があいているので、そこに飛ばせばヒットになる」と瞬間的に判断し、行動に移すことができる。それぐらいグラウンドでの一瞬の出来事がスローに見えていると思います。でも頭の中は普通の選手の何倍ものスピードで回っている。きっとセナも同じような感覚でマシンを運転していたと思います。

 そんなスーパーマンのセナですが、肉体的な能力に関しては、現在のF1ドライバーのほうが遥かに優れています。現役時代のミハエル・シューマッハは、レース後の表彰台で飛びはねていましたが、セナも、僕が88年から2年間チームメイトを組んだネルソン・ピケ(1981年、83年、87年の世界チャンピオン)も、ナイジェル・マンセル(92年の世界チャンピオン)も、レースが終わったあとは疲労困憊でした。表彰台で優勝カップを持つのもやっとということもありました。

 現代のドライバーたちは、マシンを速く走らせるためには肉体的な能力も必要だと分かっているので、若い頃からトレーニングを重ねて身体をつくってきています。だからシューマッハやセバスチャン・ベッテル、僕の息子の一貴(2007年~09年にウィリアムズに所属)にしてもレースが終わったあとも元気いっぱいです。

 当時は、セナのようなトップクラスのドライバーでさえ肉体的な能力はまだまだ備わっていませんでした。それでも彼は、その卓越した技量で3回も世界チャンピオンになった。やっぱり彼はスーパーマンなんです。

 現役時代、僕はセナのライバルにはなれませんでしたし、チームメイトとして彼と常に比較されながら走るのは本当に大変だった。当時はセナの走りを見て、自分自身に失望したこともありました。でも今にして思えば、セナのような本物のスーパーマンの走りを間近で見ることができて本当に良かった。同じドライバーとして、心からそう思えます。

 プロフィール
中嶋悟(なかじま・さとる)
1953年2月23日愛知県生まれ。
国内ではトップカテゴリーF2シリーズで5回のチャンピオンを獲得。ホンダエンジンの開発にも参加し、F1テストドライバーも務めた。34歳で念願のF1フル参戦ドライバーとして、名門ロータスよりデビュー。('87-'89 ロータス、'90-'91 ティレル)この年から鈴鹿で日本GPが開催され、日本でのF1人気が一気に高まった。91年にドライバーを引退。ナカジマレーシングの総監督として、活動を開始。国内のトップフォーミュラー、耐久レースなどに参戦するとともに、国内外の若手ドライバーにチャンスを与え、ドライバー育成にも力を注ぐ。現在、日本レースプロモーション会長、鈴鹿サーキットレーシングスクール校長も務める。

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