「有力候補」と騒がれながら、本番のクラシックでは勝てなかった馬たち
クラシックに縁がなかった馬たち(前編)
1980年代初頭、日本の競馬界にサンエイソロンという牡馬がいた。クラシック三冠すべてのトライアルレースを勝ちながら、肝心の本番はひとつも勝てなかった。
いわば「トライアル三冠馬」だ。
トライアルではあっさり差し切った馬に、ダービーで写真判定の末にハナ差で負けたことは、オールドファンの間では語り草となっている。当時、有力馬を抱える厩舎関係者たちは、自分の馬を「サンエイソロンのようにはしたくない」と語り合っていたという話もある。
ここまで"記録的"ではないにしても、3歳クラシックレースにおいては「トライアルまではよかったが......」という期待馬、有力馬が少なくない。というより、ゴロゴロといる。
1990年代はじめの約1万2000頭をピークに減少傾向にあるものの、現在でも7000頭強のサラブレッドが毎年生産されるなかで、勝利の椅子は3つしかないのだから、それも当然のこと。だが、そうした敗者の群れによって、勝者の栄光も、競馬という"ドラマ"も支えられていることは、紛れもない事実だ。
今年も、もうすぐ3歳三冠レースの最後の椅子が埋まる。
そこでこの機会に、「大物」「有力」と期待されながら、ついにクラシックには縁がなかった馬たちについて、少し振り返ってみたい。
あまり古い話をしてもどうかと思うでの、サンデーサイレンス産駒が活躍し始めた1990年半ば以降、という形で見てみれば、ざっとこんな馬たちの名前が挙がる。
まずは、メジロブライト。皐月賞も、ダービーも1番人気に支持されながら、皐月賞4着、ダービー3着、2番人気だった菊花賞も3着と、三冠レースはいずれも今ひとつの結果に終わった。
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