【競馬】パカパカファーム物語。アイルランドの獣医師は、なぜ日本行きを決めたのか (2ページ目)

  • 河合力●文 text&photo by Kawai Chikara

「1983年に獣医学校を卒業した私は、サラブレッドの獣医師として働いていました。ジョン・オックス厩舎(2009年ヨーロッパ年度代表馬シーザスターズなどを管理)や、ジュドモントファーム(14戦14勝という成績を残して先日引退したイギリス馬フランケルの生産牧場)など、いろいろなところで働きましたね。その頃は、牧場経営をしようなんてまったく思っていませんでした」

 この他にも、アメリカやオーストラリアでの勤務を経験。獣医師として着々と実績を積んでいった。当時は牧場経営に興味がなかったとのことだが、のちに日本でパカパカファームを設立する際は、名門牧場に勤務した経験が生きたことは間違いない。

 ともあれ、そんな獣医師としてバリバリ働いていたスウィーニィ氏に、日本行きの話を持ちかけたのは、当時競走馬の所有を始めたばかりの『大樹ファーム』だった(のちに、タイキブリザード、タイキシャトルなどのGI馬を輩出する)。大樹ファームはこのときすでに、アメリカとアイルランドに牧場や育成施設を持っており、アメリカで生産した世界的良血のサラブレッドを"本場"アイルランドで育成し、日本でデビューさせるという画期的な試みを実践しようとしていた。と同時に、日本でも牧場を開設し、競走馬の国内生産を行おうと考えており、その牧場に勤務する獣医師を探していた。

 そこで、行き当たったのがスウィーニィ氏だった。スウィーニィ氏は、大樹ファームがアイルランドに持っていた施設の獣医師などと面識があった。そのつながりから、当時の大樹ファームオーナー・赤澤芳樹氏に、突然電話で日本行きの誘いを受けたのだ。

「話を聞いたときはとてもびっくりしました。当時は日本の競走馬が海外遠征することもほとんどなく、外国で行なわれる競走馬のセリ市に日本人のバイアーが来ることも滅多になかった。ですから、日本の競馬についてはほとんど知りませんでした。しかも当時、私は結婚してアイルランドに家を買ったばかり。決してグッドタイミングではなかったのです」

 しかし、一方で大樹ファームの挑戦にも大きな興味があった。なかでも、大樹ファームのアドバイザーとして就任していたジョン・マルドゥーン氏の存在が大きい。彼はアメリカで幾多の名馬の生産を手掛けた人物で、その彼が大樹ファームにかかわり、世界レベルでの育成プログラムを打ち出していたことは、スウィーニィ氏に大樹ファームの"本気度"を感じさせた。

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