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サミュエル・エトーを全盛期にプレミアリーグで見たかった バルサ黄金期とインテル絶頂期を支えた偉大なストライカー (3ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【恩師モウリーニョに全幅の信頼】

「ラ・リーガほどの自由は、セリエAにはない。まして監督はモウリーニョだ。守備戦術が徹底される。エトーは苦しむに違いない」

 下馬評は芳しくなかった。

 たしかにラ・リーガのほうが自由度は高い。しかし、バルセロナは相手ボールになった際のリアクションが理詰めで、単騎でサイドに追い込む時も、複数で囲い込むと時も、周囲の連係がとれていた。ポゼッションとカウンターの違いこそあれ、ペップもモウリーニョもアタッカーに第一ディフェンスを要求していた。

 あえて相違点を挙げるのなら、バルセロナでプレーしていた当時に見え隠れしたエゴイズムが、次第に消えていったことだろうか。

 かつてのエトーなら強引にシュートを打つシーンで絶妙のラストパス。守りを怠らず、周りを生かす。それでいて切り返した瞬間に鋭い一撃を放ち、GKのポジションを見極めたループも狙う。

 エトーは「アンストッパブル」なストライカーになった。

「彼の考え方、物言いはストレートだから、好感が持てる。監督のなかにはまわりくどい奴もいるからね。ハーフタイムに戦術をアドバイスされても、俺たち選手は興奮しているから聞いちゃいないんだよ。モウリーニョは素敵な監督さ」

 インテルで師事した恩師への感謝を、エトーはたびたび口にしている。2009-10シーズンはセリエA、コッパ・イタリア、CLのトリプリッタ(イタリア語で「ハットトリック」の意味)だ。エトー個人では前年のバルセロナに続く三冠である。想い出はバラ色だ。

 だからこそモウリーニョの求めに従い、エトーはチェルシーへの移籍を決意したのではないだろうか。2013-14シーズン、ロシアのアンジ・マハチカラからロンドンに馳せ参じた。

 フェルナンド・トーレス、デンバ・バ、ロメル・ルカクといったアタッカーに不満を抱いていたモウリーニョが、エトーに白羽の矢を立てたのは当然だったのかもしれない。

 ただ、残念ながら遅きに失していた。32歳になったエトーは衰えを隠せず、プレミアリーグのゲーム強度に苦悶した。26試合・9得点。期待どおりの活躍ではなかった。エバートンに移籍した2014-15シーズンも16試合・3得点と、プレミアリーグのチャレンジはわずか2年間で終焉を迎えている。

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