サミュエル・エトーを全盛期にプレミアリーグで見たかった バルサ黄金期とインテル絶頂期を支えた偉大なストライカー (2ページ目)
【エトーの選択は大正解だった】
「人生は皮肉なものだよね」
のちにエトーが振り返ったのは、バルセロナからのオファーだった。レアル・マドリードでエースになると誓った男が怨敵のユニフォームを着るとは、人生ってやつは奥が深い。
バルセロナ所属の5シーズンは、公式戦159試合・111得点。1シーズンの平均は約22得点。文句なしの実績である。2005-06シーズンはリーグ得点王に輝き、カタルーニャの名門に数多くのタイトルをもたらしている。
チームのピークがやってきたのは2008-09シーズン。ロナウジーニョからメッシへ、エースの座がスムーズに移動し、ティエリ・アンリとエトーを加えた3トップは対戦相手にとって脅威でしかなかった。しかも、シャビ・エルナンデスとアンドレス・イニエスタがゲームを創り、アンカーにヤヤ・トゥーレという、どこにも隙のない"反則技"の布陣だ。
この時代のバルサは依然として「世界最強にして最高」と言われ、のちのサッカー界に多大な影響を及ぼしている。メッシの魔法とイニエスタ、シャビの頭脳は酒のあてとしても味わい深い。
だが、エトーのスピードも忘れてはならない。一瞬の加速がすさまじく、マーカーが図る間合いをいとも簡単に無効化する。
イニエスタとシャビの技量にケチをつけるつもりは毛頭ないが、パスが若干ズレたとしてもエトーなら追いつく。ほかの選手であればラインを割ったり、相手に渡っていたりしたボールを、エトーがビッグチャンスに変えたケースも決して少なくなかった。
超一流をズラリと揃えたバルサは、2008-09シーズンにラ・リーガ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグ(以下CL)の三冠に輝いた。マドリードを離れたエトーの選択は、結果的に大正解だった。
2009年の夏、エトーはジョゼップ・グアルディオラ監督(当時)との不和もあり、インテルに移籍する。
新しいボスはジョゼ・モウリーニョだった。ペップとは対極に位置する名将で、「そんなにポゼッションがほしいのならくれてやる。その代わり(勝ち点)3ポイントは俺たちがいただく」と公言する現実主義者だ。
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