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マンチェスター・シティのリコ・ルイス19歳 日々進化するSBの最先端を行くプレーとは

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji

西部謙司が考察 サッカースターのセオリー 
第12回 リコ・ルイス

日々進化する現代サッカーの厳しさのなかで、トップクラスの選手たちはどのように生き抜いているのか。サッカー戦術、プレー分析の第一人者、ライターの西部謙司氏が考察します。今回は、マンチェスター・シティで開幕から躍動している19歳のリコ・ルイス。「偽サイドバック」戦術の最先端を行くプレーとは?

マンチェスター・シティの19歳、リコ・ルイス photo by Getty Imagesマンチェスター・シティの19歳、リコ・ルイス photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る

【元祖「偽SB」は自由奔放にプレー】

 フィールドプレーヤーのなかで、サイドバックは最も進化を遂げたポジションかもしれない。

 WMシステム時代(3-2-2-3。1930~50年代に流行)のフルバックはその名のとおり守備専門のポジションだった。「フルバック」のポジション名は、もともと2バックだった時の名残だ。WMシステムの3バックのセンターは、センターハーフが中盤から下りてきたかたちだったので、左右のサイドに分かれたDFもフルバックと呼ばれていた。

 やがてDFが4人になると左右のDFは「サイドバック(SB)」と呼ばれるようになった。1950年代にはブラジルのジャウマ・サントス、ニウトン・サントスのような攻撃参加するSBも現れているが、やはり役割はもっぱら守備であり、メインは相手ウイングをマークすることだった。

 1960年代に入ると、インテルとイタリア代表の左SBジャチント・ファケッティが「攻撃するSB」として名を馳せる。そして1970年代には「偽SB」の原型が出現した。

 アヤックスとオランダ代表で活躍したルート・クロル、ヴィム・シュルビアはタッチライン際を上下するファケッティ型だが、その制約さえ取り払ったのがパウル・ブライトナーである。バイエルンと西ドイツ代表の左SB。のちにプレーメーカーに転身して、1982年スペインW杯は決勝までチームを牽引した。転身というより、SBの前がもともとMFであり、SBとしてもMFのようにプレーしていたわけだ。

 相手の右ウイングをマークするのは変わらないが、攻撃では左サイドを駆け上がり、中央へ進出し、時には反対の右サイドまで行く自由奔放。攻撃するリベロとしてフランツ・ベッケンバアーが脚光を浴びていた頃だが、ブライトナーはもともとマークする相手を持っていないリベロ以上に攻撃に出ていた。

 1980年代のジュニオール(ブラジル代表)も自由だった。MFが本職という点はブライトナーと同じ。フィールドを駆け回ってよく得点したのも同じである。

 ただ、ブライトナーとジュニオールは特例で、サッカーがよりシステマチックになり受け持ちエリアが明確化されるに従い、SBのプレーエリアもサイドに限定されていった。

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著者プロフィール

  • 西部謙司

    西部謙司 (にしべ・けんじ)

    1962年、東京生まれ。サッカー専門誌「ストライカー」の編集記者を経て2002年からフリーランスに。「戦術リストランテ」「Jリーグ新戦術レポート」などシリーズ化している著作のほか、「サッカー 止める蹴る解剖図鑑」(風間八宏著)などの構成も手掛ける。ジェフユナイテッド千葉を追った「犬の生活」、「Jリーグ戦術ラボ」のWEB連載を継続中。

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