遠藤航がプレーするリヴァプールFCの本拠地「アンフィールド」 歓喜と悲劇の130年の時を経て~欧州スタジアムガイド (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【犠牲者を悼む石碑】

 もうひとつはコップ側にあるペイズリー門で、こちらはシャンクリーの後を引き継ぎ、1983年までチームを率いたボブ・ペイズリー監督の名がついている。

 ペイズリーは1976年にリーグとUEFA杯の2冠を達成。翌年にはリーグ2連覇も達成し、欧州チャンピオンズ・カップとヨーロッパ・スーパー・カップを制した。その後もリーグ戦4回、リーグ・カップ3回、1978年と1981年欧州チャンピオンズ・カップを制した。これらの輝かしい成績のため、ボブ・ペイズリーは「イングランド・フットボール史上最も成功した監督」と評されている。

 また、ペイズリーはグラウンドの入口の壁の上に「This is Anfield」のサインを掛けさせた。これは、相手チームをアンフィールドへ入場するアウェーのチームを怖がらせようとする目的だった。だが、しばらくすると、リヴァプールの選手が試合での幸運を祈るために、出入りするたびにサインに触れるようになった。ちなみにこのサインには、アンフィールドのスタジアムツアーに参加すれば、ファンも触ることができる。

 このサインは、メインスタンドの改築の際に一時的に撤去され、2016-17シーズンのリヴァプールのホーム開幕戦に先立ち、新しいメインスタンドのトンネルからピッチへの出口に設置された。当時、リヴァプールを率いていたユルゲン・クロップ監督は、チームが少なくとも一つの主要なトロフィーを獲得するまで、選手たちがサインに触れることを禁止し、?2019年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝で優勝したあと、選手たちに再び触ることを許可したという。
 
 そしてシャンクリー門の脇には、もう一つ記念碑が設置されている。それが「ヒルズボロ・メモリアル」である。1989年のFAカップの準決勝、リヴァプール対ノッティンガム・フォレスト戦で起きた群集事故「ヒルズボロの悲劇」で亡くなった96名の犠牲者を悼む石碑だ。1997年からリヴァプールでプレーを続けて、500試合以上出場したスティーブン・ジェラードの従兄弟は、この悲劇で亡くなっている。なおエンブレムに見られる両脇の炎も、この悲劇を追悼している。

 リヴァプールはかつて、アンフィールドから創設当時のエヴァートンが使用していたスタンリー・パークに移転しようとしたが、結局、断念した。アンフィールド周辺の土地を買い取り、6万人収容のスタジアムに改修することを決めた。今年の2月にはアンフィールドロードスタンドの改修がほぼ終わったという。
 
 今年6月、日本の航空会社のJALグループがリヴァプールとオフィシャルパートナーシップ契約を締結し、クラブの「オフィシャル・エアライン・パートナー」となった。そのため、アンフィールド内に「Japan Airlines Lounge」が設置される予定だという。

 昨シーズンは惜しくもプレミアリーグ3位に終わったリヴァプール。2015―16シーズンから指揮をとり、悲願のリーグ優勝も果たしたユルゲン・クロップが退任し、今シーズンからオランダ人のアルネ・スロットが率いている。相手チームが「要塞」と恐れるアンフィールドで、新たな歴史を刻んでいくことができるか。

著者プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

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