パリオリンピック男女サッカー決勝の舞台「パルク・デ・プランス」名前の由来は王侯貴族の庭~欧州スタジアムガイド

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

欧州サッカースタジアムガイド2024-2025
第4回 パルク・デ・プランス Parc des Princes

 ロンドンのウェンブリー・スタジアム、マンチェスターのオールド・トラッフォード、ミラノのジュゼッペ・メアッツァ、バルセロナのカンプ・ノウ、パリのスタッド・ドゥ・フランス......欧州にはサッカーの名勝負が繰り広げられたスタジアムが数多く存在する。それぞれのスタジアムは単に異なった形状をしているだけでなく、その街の人々が集まり形成された文化が色濃く反映されている。そんなスタジアムの歴史を紐解き、サッカー観戦のネタに、そして海外旅行の際にはぜひ足を運んでもらいたい。連載第4回はパルク・デ・プランス(フランス)。パリ五輪サッカー決勝の舞台になるパルク・デ・プランス photo by L'EQUIPE/AFLOパリ五輪サッカー決勝の舞台になるパルク・デ・プランス photo by L'EQUIPE/AFLOこの記事に関連する写真を見る 7月26日にいよいよ開幕したパリオリンピック。開会式より一足早くグループステージが始まった男女のサッカー競技の決勝戦は、パリ郊外のサンドニにあるスタッド・ドゥ・フランスではなく、パリ市内の「パルク・デ・プランス(Parc des Princes)」で開催される。
 
 フランスの首都パリは、東西に流れるセーヌ川によって街が南北に分けられ、セーヌ川より北側を右岸(リヴ・ドロワ)、セーヌ川より南側を左岸(リヴ・ゴーシュ)と呼ぶ。パリの中心は、セーヌ川にふたつある中州状の島、シテ島とサン=ルイ島があり、ここがパリ発祥の地だ。シテ島にはノートルダム大聖堂があり、パリが教会を中心に発展した街であることがわかる。

 セーヌ側の中州シテ島を中心に発展したパリはその後、四方に拡大していった。かつては周囲に城壁を巡らせ街を守っていたので、今でもその時代時代の城壁跡がBoulevard(ブールバール)という大通りになっている。城壁の外側に歓楽街や墓地ができたため、ピガールやバスティーユの歓楽街は大通りに面している。
 
 パリは20の行政区に分かれている。シテ島周辺の 1区を中心として、渦巻き状、時計回りに数字が大きくなり、数字が大きくなるほど中心から離れる形から、パリの区割りは「エスカルゴ(かたつむり)」とも呼ばれている。そのパリ西部、ブローニュの森や高級住宅街が多いことでも知られる16区にあるのが「パルク・デ・プランス」だ。地下鉄9号線のポルト・ドゥ・サンクルー駅、10号線のポルト・ドートゥイユ駅、またはRER C線のポン・デュ・ガリリアーノ駅から10~15分ほどのところにある。

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著者プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

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