サラーはなぜリバプールで爆発したのか。ドリブルの秘密とチームとの幸福な関係 (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

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 だから、サラーが左足で右方向へボールを動かすと、その分DFは対応が遅れてしまう。DFはほぼ静止状態からのスタートなので、スピードの差はそれほど大きくないし、スペースも限られているから加速も使えず、サラーに追いつけない。見た目はサラーの速さの勝利だが、実は動く前に勝負がついている。極小スペースで無類に強いのは、たんに速いだけではないわけだ。

<リバプールで大ブレイク>

 2012年2月、エジプトのポートサイドスタジアムで死者74人、負傷者1000人以上という大惨事があった。スタジアムでの暴動が原因だった。エジプトリーグは、この事件から無期限の延期となっている(3年後に再開)。アラブ・コントラクターズでデビューしたサラーがスイスのバーゼルへ移籍したのはこのタイミングだった。

 バーゼルでのU-23チームの親善試合で好プレーを見せたサラーに対し、バーゼルは直ちに練習参加を打診し、そのまま契約にこぎつけた。以前からサラーには関心を持っていたようだが、本人には突然のことであり、言葉もわからないことから躊躇はあったという。

 何よりジェルダン・シャキリ(スイス)の代役というのが重荷だった。バーゼルのエースだったシャキリはバイエルン(ドイツ)への移籍が決まっていて、クラブは後釜を探していたのだ。のちにリバプールでサラーとシャキリは再会するのだが、その時はサラーがリバプールのエースで、ふたりの立場は逆転している。

 バーゼルで活躍したあと、プレミアリーグのチェルシーへ移籍。しかし、チェルシーではあまり出番を得られず、ブレイクしたのは貸し出し先のフィオレンティーナとローマ(共にイタリア)だった。セリエAでの活躍が認められてプレミアリーグへ戻る。チェルシーではなくリバプールへの移籍だった。

 リバプールではいきなり32ゴールのシーズン新記録を叩き出す。それまでは前シーズンのローマで記録した15ゴールが最多だから、本人も驚いたかもしれない。チームとの相性も良かったのだろう。

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