すべてを失ったW杯のヒーローたちのその後。ブレーメ、ガスコインは今

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

あのスーパースターはいま(6)前編

 サッカー選手はあこがれの職業だ。スター選手ともなれば、多くの報酬をもらい、人々から褒めそやされ、スポットライトを浴びる。しかし、ほとんどの選手は30代半ばにはその華やかな世界を去らなければならない。第二の人生は長く、かつての生活が忘れられず、そのギャップに苦しむ者も多い。

1990年イタリアW杯決勝で決勝点を決めたアンドレアス・ブレーメ1990年イタリアW杯決勝で決勝点を決めたアンドレアス・ブレーメ 1990年イタリアW杯決勝は、ディエゴ・マラドーナ擁するアルゼンチンと西ドイツが対戦した。どちらにもゴールが生まれないままじりじりと時間は過ぎ、後半40分、西ドイツにPKが与えられる。W杯の決勝、満員のスタジオ・オリンピコ。世界中の目が注がれる大プレッシャーの中、アンドレアス・ブレーメは落ち着いてこれを決めた。彼のPKが西ドイツに3度目の世界チャンピオンの座をもたらした。

 ブレーメはプレースキックの名手だった。職人肌のプレーヤーで、左サイドから精密なクロスを前線に供給していた。この年にはバロンドールの投票で3位につけている。クラブチームではカイザースラウテルン、バイエルンなどでプレーし、イタリアのインテルでは、ローター・マテウス、ユルゲン・クリンスマンとともにドイツ人トリオを形成し、スクデット(優勝)を勝ち取っている。

 引退後は、古巣のカイザースラウテルンで監督となるが、チーム内部の争いから、2年後の2002年に解任された。その後、インテル時代の恩師ジョバンニ・トラパットーニが率いるシュツットガルトのアシスタントコーチとなったが、トラパットーニが解任されると、彼もまたその地位を失う。

 この頃からブレ―メの生活は荒れ始める。まずは飲酒運転で免許停止処分を受け、その後も運転を続けたため、無免許運転で裁判にかけられた。2010年には長年連れ添ったスペイン人の妻とも破局。仕事を失い、経済的に苦しい中、妻への慰謝料も払わなければならなくなった。

 しかし、長年の癖となっていた浪費をやめることはできず、彼の資産はどんどんと減っていく。そのうち、モンテカルロに持っていた40万ユーロ(当時のレートで約5600万円)の価値はあると言われていた家は抵当に取られ、それ以外の借金も25万ユーロ(約3800万円)以上になっていた。

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