2020.08.11

香川真司が輝きジーコジャパンが惨敗したスタジアムで見た衝撃の光景

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 赤木真二●写真 photo by Akagi Shinji

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ジグナル・イドゥナ・パルク(ドルトムント)

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 ローマ・オリンピコで行なわれた1995-96シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)決勝。ユベントス対アヤックス戦のスタンドは、アヤックスのチームカラーである赤色が、その3分の2を支配した。

 CL決勝のチケットは毎回、出場した両チームに各3分の1、地元に3分の1の比率で分配される。ローマはイタリアの首都。地元のサッカーファンは、同国人のよしみでユベントスを応援するものだと普通の日本人は思うだろう。当時の筆者がそうだった。

 だが、実際は違った。地元のローマ人は全面的にアヤックスの応援に回った。ローマのオリンピコは、ユベントスにとってアウェーの舞台と化していた......とは、当コラムの8回目(スタディオ・オリンピコ編)で記した内容の一部になるが、筆者は翌シーズン(1996-97)の決勝の地でも、このローマで体験したものと同種のカルチャーショックを味わうことになった。

 舞台はミュンヘン五輪スタジアムで、対戦カードはドルトムント対ユベントスだった。チケットの3分の1を割り当てられたミュンヘン人が応援したのは、ドルトムントではなくユベントス。よってスタンドは、黒と白のユベントスカラーが3分の2を占めることになった。ミュンヘン人もローマ人同様、同国人のよしみで自国のクラブを応援することはなかった。CLの本質を語る時、この2試合は欠かせない事例になる。

 事実上のアウェーで戦うことになったドルトムントは、そのハンディにも負けずユベントスに勝利した。前評判を覆して欧州一の座に就いた。クラブ史上初めて。ドイツ国内において、バイエルン・ミュンヘン一強時代に風穴を開けた。

 そして翌1997-98シーズン、ドルトムントとバイエルンは、CLの準々決勝で相まみえることになった。

ドルトムントの本拠地、ジグナル・イドゥナ・パルク ミュンヘン五輪スタジアムで行なわれた第1戦は0-0。ドルトムントホームの第2戦は98年3月18日、ネーミングライツによって2005年以降、ジグナル・イドゥナ・パルクに名称を変ることになったヴェストファーレンに、48500人の観衆を集めて行なわれた。