165cmと172cm。70年代にバロンドールを受賞した「小さな巨人」が2人いた (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

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 ボルシアMGのヘネス・バイスバイラーは、当時世界最高クラスの監督だ。ある意味で物好きな人物としても知られていた。才能の発掘に熱心で、ヨーロッパ中の情報を収集していた。後のケルンの監督の時には、日本から奥寺康彦を獲得している。ボルシアMG時代も、香港から来た選手などがいたそうだ。シモンセンが加入と同時にデンマークからはヘニング・イェンセンも獲得している。この2人はボルシアMGの第二期黄金時代を築き、それぞれバルセロナ、レアル・マドリーに移籍した。

 ただ、シモンセンは最初の2シーズンでほとんど起用されていない。ブレイクしたのは74年。しかし、それからのシモンセンは一気にヨーロッパトップクラスのアタッカーへと飛翔した。

 小柄なアタッカーの特徴をすべて持っていた。速くて俊敏、ボールコントロールは秀逸、しかも体は小さいがプレーには豪快さもあった。DFの間をすきま風のようにすり抜け、バランスのとれた美しいフォームから鋭いシュートを叩き込む。軽量なのでタフなDFに度々吹っ飛ばされたが、勇敢で怯むことがない。メディアは「小さな巨人」と呼んだ。

<マイティ・マウス>

 77年にアラン・シモンセンがバロンドールを受賞したとき、僅差で2位だったのがケビン・キーガンである(ちなみに3位も僅差のミッシェル・プラティニ)。76-77シーズンのチャンピオンズカップ決勝は、シモンセン(ボルシアMG)とキーガン(リバプール)の対決でもあった。キーガンはクラブ初のビッグイヤーを置き土産にブンデスリーガのハンブルクに移籍、78、79年のバロンドールを受賞している。

 キーガンも身長は172cmと小柄だった。ニックネームは「マイティ・マウス」。スーパーマンの格好をしたネズミが主人公の、人気アニメからのネーミングである。

 キーガンはシモンセンと違って筋骨隆々、フィジカルコンタクトにも強く、身長が低いのにヘディングも強力だった。リバプールでは長身のジョン・トシャックとのコンビで活躍。もともとはMFだったが、ビル・シャンクリー監督がFWにコンバートして大成功を収めた。ハンブルクでは1つ引いたポジション、現在で言うトップ下でプレーの幅を広げている。

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