悲運と戦い抜いたロベルト・バッジョ。背筋が寒くなるほどの美しさ
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サッカーのスーパースターの中には、その才能をいかんなく発揮しながら、タイトルに恵まれなかった悲運の選手たちがいる。サッカースターやレジェンドプレーヤーの逸話をつなぎながら、その背景にある技術、戦術、社会、文化を探っていく連載。第4回は日本でもファンの多かった、あのイタリア人プレーヤーだ。
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ポニーテールとPK
「思いついたプレーの中で最も難しいものを選択する」
ロベルト・バッジョはギュンター・ネッツァーと同じことを言っている。どちらも「悲運の天才」というイメージだ。
1994年のアメリカワールドカップでプレーしたバッジョ 1994年アメリカワールドカップはバッジョの大会になるはずだった。
筆者は偶然にもイタリアのすべての試合を見たが、前半戦のバッジョはまさに悲運のエースである。初戦のアイルランド戦はジュゼッペ・シニョーリと2トップを組んだが機能せず、0-1の黒星スタート。次のノルウェー戦はGKジャンルカ・パリュウカが退場処分となったことで途中交代。1-0で勝利したが、絶対的エースだったバッジョを引っ込めたアリゴ・サッキ監督の采配は物議を醸した。
10人で戦わなければならない局面で、FWを下げるのは常識的な判断であり、この時のバッジョはアキレス腱を痛めていた事情もある。それでもバッジョを下げたのは多くのファンにとってショックだった。
最後のメキシコ戦は1-1。この結果、グループEは4チームがすべて勝ち点4で並ぶ異常事態となったが、イタリアは総得点の差で決勝ラウンドに進出できた。キャプテンのフランコ・バレージを負傷で失い、エースのバッジョは何も貢献できないまま。業を煮やしたイタリアの世論はジャンフランコ・ゾラをバッジョの代わりに起用すべきとの声を挙げていた。
イタリアは、ラウンド16ではナイジェリアと対戦。1点を先行され、切り札として投入されたそのゾラは、いきなり一発退場となってしまう。勝利を確信したナイジェリアは、彼らの身体能力とボールテクニックの優位性を誇示しはじめる。イタリアの命運も尽きたかと思われた88分、バッジョが起死回生の同点ゴールを決めた。数々の美しいゴールを決めたバッジョからすると地味な得点だった。しかし、この1点が結果的にそれまでアズーリを覆っていた暗雲を吹き飛ばしている。
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