平壌で目撃。知られざる北朝鮮サッカーの育成の現場

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kimura Yukihiko

平壌市内の一般の小学校での練習風景平壌市内の一般の小学校での練習風景 世界で最初に女子サッカーの存在認知を行なった国はノルウェーである。1986年のFIFA総会に女子の団長を送り、「男子と同じルールの適用」「女子のW杯の開催」そして「五輪種目にも女子サッカーを加えること」この3つの提案を行なったのである。

 同国は当時すでに国内に100以上の女子チームを抱えていて、ナショナルチームの強化に乗り出していた。競技団体に働きかけて正式種目として市民権を勝ち取った意味では女子サッカーの母国とも言えるだろう。

 以後、日本のLリーグMVPのリンダ・メダレンなどを輩出させながら、五輪(優勝1回、3位1回)やW杯(優勝1回、準優勝1回)で大きな存在感を発揮してきた。8月20日、この老舗強豪国にU-20W杯で北朝鮮が勝利した(4-2)。欧州のそれに対してアジアの老舗はこの北朝鮮なのである。

 北朝鮮女子サッカーの歴史は1980年代中ごろに始まったと言われている。85年に平安南道の体育団(クラブ)に初めて女子チームができたのである。これは80年に読売ベレーザを誕生させた日本に比べても決して早くはない。

 しかし、国家が動いただけに環境のオーガナイズは迅速であった。80年代後半には「4・25体育団」をはじめとするほとんどの体育団に女子チームが整備され、90年になるとリーグ戦も開始される。1部リーグは12チームで構成され、切迫したレベルでしのぎを削り、すでに女子の監督や国際審判も多く輩出している。

 その育成と強化のシステムはどのようなものなのか。北欧のチームがジェンダーフリー=男女共同参画の観点から女子を伸ばしていったのに対して、北朝鮮は国策を背景にしたステートアマの制度を押し出して代表を強化している。

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