ロムニーはベルルスコーニのような大統領になるのか (2ページ目)
首相の座を勝ち取った後も、ベルルスコーニはスポーツの話を続けた。サイモン・マーティンは著書『スポート・イタリア』にこう書いた。「フットボールクラブの会長をつとめるベルルスコーニは、メディアを通じてイタリア人の家にずかずかと入り込み、自分の宣伝とフットボールの話をした。ほかの政治家はそこでもっと退屈な話をしている。たとえば政治のことだ」
1994年、ベルルスコーニがイタリアの首相になった年、ある野球チームの幹部がテキサス州知事に当選した。ジョージ・W・ブッシュは、テキサス・レンジャーズの理事という経歴を前面に打ち出して選挙戦を戦った。彼の履歴書にはほかに役に立つ要素がほとんどなかった。最高にアメリカ的なスポーツとの結びつきがあったことで、ブッシュは最高にアメリカ的な政治家に見えた。
政治家はつねにライバルのアイデアを研究している。2000年頃になると多くの政治家がスポーツの持つ力に気づくようになった。スポーツ界には金が流れ込み、クラブ幹部の地位は以前より大きなものになっていた。
裕福なビジネスマンが大衆のヒーローになれる分野はスポーツだけだった。アルゼンチンではボカ・ジュニアーズの会長マウリシオ・マクリが、ブエノスアイレス市長になるための運動を始めた。数年後、彼は市長に当選し、さらに上をねらっている。
チャンスを絶対に逃さないロムニーは、ソルトレークシティーが大会招致レースでわいろを使ったというスキャンダルが噴出した後に、組織委員長に就任した。大会予算が約4億ドルの赤字という状況だったから、ロムニーは周囲の期待を抑えることから始めた。聖火リレーではトーチなど使わず、バーベキュー用のガス着火器ですませばいいと冗談も言った。
ロムニーは組織委員会のスタッフに、笑顔を忘れるなと言った。意外なスポンサーも見つけてきたし(たとえば「オリンピック公式ケーキミックス」)、何よりこの大会をすばらしいものにした。9.11同時多発テロからまもない愛国的な空気のなかで、ロムニーは全米に知られる英雄となった。この年の11月、彼はマサチューセッツ州知事に当選する。彼にとって初めての政治の仕事だった。
(続く)
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