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【Jリーグ連載】東京ヴェルディ・アカデミー、プロを知らない小笠原資暁がユースの監督になるまで (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki

――実際にサッカースクールでコーチをやってみて、どうでしたか。

小笠原 給料はひとコマいくらという感じだったので、午前中はスポーツジムでアルバイトをしながらでしたけど、めちゃくちゃ教えている感覚はありました。家で、ひとりでリハーサルして、どういう順番でゲームのルールを伝えたら、小さい子たちの頭にも入っていきやすいかを考えたり、台本みたいなものまで書いたりして、この辺でひと笑い入れないと飽きられちゃうな、とか(笑)。そういうことを毎日繰り返していました。

 とにかく自分で考えて、自分でやらないと、もうこの世界で生きていけないだろうなって思っていたので、最初の2年間は、人がやっている練習や、人のメニュー本とかは見ませんでした。僕は(プロ)選手としてのキャリアがないので、他の人と同じことをやっていたら絶対ダメだと思っていましたから。

 今思うと選手に謝りたくなるような練習ばかりしていましたけど(苦笑)、でも、それをヴェルディのスタッフはとがめるでもなく、「好きにやりな」って言ってくれる環境にあったので、それはめちゃくちゃありがたかったです。そのときの2年間が、今の自分のベースになっている気がします。

――自分で考えるからこそ身になる、と。

小笠原 2、3年目からは学校巡回指導にも参加したのですが、あれが一番勉強になったかもしれないです。学校巡回指導は、小学校の体育の授業みたいな感じでやるんですけど、ここの(ヴェルディのスクールに来る)子たちはみんな、サッカーをしたくて来るわけじゃないですか。でも、学校巡回指導で教える子たちは、学校の授業に出席しているだけで、別にサッカーをしたいわけではないんです。

 そういう子に、いかにサッカーの楽しさを伝えられるかとか、僕と関わってみたいと思ってもらえるかとか、とにかく子どもたちの関心を引きつけなきゃいけない。下を向いて絵を描いているような子を、どうやってこっちに向かせるか。そういうのは、めちゃくちゃ考えさせられました。今はその感覚が結構抜けちゃっている気がするので、取り戻さないといけないですね(苦笑)。

――もともと小笠原さんの感覚的なものは、ヴェルディと相性がよかったのではないですか。

小笠原 僕は「よし、コーチになるぞ」と思ったときにノートを作って、そのはじめに「どんなチームを作れるコーチになりたいのか」っていうことを書いているんですね。それを見ると、「縦に速いサッカー」みたいなことを志向しているんです。

 でも、ヴェルディはどちらかと言うと、みんなでボールを動かす印象のほうがたぶん強い。だから、楽しかったのかもしれないです。自分の発想にはないものだったから。

 ここに来てからは、「こんなことができるんだ」っていう新しい発見の連続でしたし、そういう意味では、相性がよかったのかもしれないです。

(つづく)◆東京ヴェルディユースの小笠原資暁監督が目指すもの>>

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