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【Jリーグ】ファジアーノ岡山のFWルカオは異色の経歴「自分のプレー映像をYouTubeにアップした」 (2ページ目)

  • 井川洋一●取材・文 text by Igawa Yoichi

【ユースチームを経ず21歳でプロに】

「フットボールを始めたきっかけは、父の影響です」とルカオは最初の質問に応じた。嘘のなさそうな優しい眼差しをこちらに向けて、彼は続ける。

「お父さんはフットボールが大好きで、いつも兄と僕にプロを目指して頑張れと言ってくれました」

 ルカオの生まれ故郷はドーレス・ド・トゥルボという人口5000人ほどの村で、そこにいる人々は謙虚で優しく、ほぼ誰もが顔見知りだという。ただし産業と呼べるようなものはなく、娯楽と言えばフットボールくらいしかない。

「僕の両親は勉強が得意ではなかったし、ドーレスは本当に田舎なので、生きるために農業をするしかなかった。だから子どもたちには、プロのフットボーラーになれば、人生を変えられるはずだと、いつも励ましてくれた。よい未来のために、頑張って挑戦したほうがいいと。でも兄は、残念ながらプロになれなかったので、自分は彼のぶんまで頑張ろうと胸に誓っていました」

 ロナウドやアドリアーノに憧れた少年は、当初から上背こそあったものの、パワーには欠けていたという。友だちとの鬼ごっこで敏捷性を養い、砂埃の舞う空き地や赤土がこびりつくストリートで、毎日、陽が暮れるまでボールを追っていた。

 それ以外の時間は、トマト農園で働いていたため、クラブの下部組織で育成された経験はない。ただしプロになる夢はずっと抱き続け、何度かトライアルを受け、アーセナルで合格にこぎつけた。ルカオが21歳の時だった。

「ユースアカデミーを知らない自分が、なんとかプロになれたんです。年齢的には、フットボールの世界では遅いほうかもしれませんが、夢が叶った。ふるさとを離れて、家族と別々に生活するのは辛かったけど、お父さんがいつも頑張れと言ってサポートしてくれました。その言葉に勇気をもらい、続けることができた」

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