町田ゼルビアの黒田剛監督に拍手を 問題はロングボールが通用するJリーグのレベルにある (2ページ目)
【カタールW杯での日本の金星と同じ】
しかもハリルホジッチと違い、黒田監督は日本語が読める日本人だ。罵詈雑言は平気で耳に入ってきたはずだ。しかし、くじけなかった。信念を曲げなかった。積極的に物申した。サッカーの好みこそ異なるが、敵役を貫こうとするこの姿勢に、筆者はあっぱれと拍手を送りたくなった。
町田にとって昨シーズンは初のJ1リーグだった。資金力豊富とはいえ、チャレンジャーだった。当初は不安しかなかったはずだ。その分、ロングボールを蹴り込むサッカーが許される立ち位置だった。蹴り込むのがダメなら、似たスタイルのヴィッセル神戸、吉田孝行監督のほうが数段、罪深く見えた。
勝利と娯楽性はクルマの両輪のように追求すべしとは、ヨハン・クライフの言葉だが、2部から昇格してきたばかりの新参者にそうした理想を強要するのは少々酷だ。
前回のカタールW杯でドイツ、スペインに対し金星を挙げた日本代表も、スタイルは守備的な5バックだった。クライフが言う理想を追求する余裕がなかった。試合には勝利したが、心の底から喜ぶことはできなかった。
残念ながら、それが日本のレベルだったのだ。とすれば、町田の戦い方は許されなければならない。昇格組という挑戦者が成績を求めようとすれば、泥臭いサッカーに走ってもしかたがない。
一番の問題は、それが通用してしまうJリーグのレベルにある。
プレミアリーグはいまでこそ世界最高峰に君臨するが、かつては酷いものだった。1990年代前半、イングランドが欧州サッカーから締め出しを食っていた影響もあるが、どの国のリーグよりロングボールを蹴り込んでいた。SBがボールを持てば、最後尾からでもズドーンと前方めがけて蹴り込んだものだ。イングランド人は「冒険心のあるサッカーだ」と肯定したが、たとえばその時、世界最高峰のリーグだったイタリアのセリエAと比較すると、時代遅れ感は顕著になった。
セリエAではプレッシングが台頭。すでにロングボールを蹴ってもチャンスにならないサッカーをしていた。当時、日本と欧州を頻繁に往復していた筆者には、訪問するたびに選手が技量を上げる姿を確かめることができた。相手に囲まれても奪われないボール操作術を、長足の進歩で身につけていた。南米選手との技量の差は瞬く間に接近した。
1990年代後半、イタリアが守備的なサッカーの時代に突入すると、スペインがそれにとって変わった。
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