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今Jリーグで最も注目の佐野海舟・航大兄弟 「兄は内弁慶。弟はお調子者」父が語る幼少期からの成長ストーリー (3ページ目)

  • 森田将義●取材・文 text by Morita Masayoshi
  • photo by Getty Images

【コミュニケーションに長けた航大】

 海舟の卒業後、入れ替わりで入学した航大は、下級生の時からAチームでの出場機会をつかんだが、兄のように主役級と言えるプレーはできずにいた。

「飄々とやるんだけど、大きな大会で思ったようにプレーできなかった。期待しすぎていたからかもしれないけど、もう少し頑張ってほしいという思うことは多々あった」と振り返るのは中村監督だ。だが、高校3年生になり、課題だったプレーの連続性や献身性が身につくと一気にブレイクした。

 航大の、父譲りの社交的な性格も印象的だったという。試合に出ていない選手、おとなしいクラスメートと積極的にコミュニケーションをとり、保護者懇談では複数の保護者から感謝の声が挙がった。また、コロナ禍で寮から出られない時期は、自ら進んで毎日800字ほどのレポートを提出するなど向上心も強かった。

佐野航大は米子北のインターハイ準優勝に貢献 photo by Morita Masayoshi佐野航大は米子北のインターハイ準優勝に貢献 photo by Morita Masayoshiこの記事に関連する写真を見る インターハイ準優勝に貢献し、複数のJクラブから声がかかったなか、幼少期に地元の津山市で試合がある度に応援に行っていたファジアーノ岡山を選んだ。ほかのクラブは同じポジションに強力な外国人選手がいたのも理由の一つ。

「周りからは、『J2では飯が食えない』と言われましたけど、カテゴリーは関係ない。試合に出てナンボ。主力を張って、活躍できるほうがいい」という龍一さんのアドバイスも、航大の頭にあったのは間違いない。1年目から定位置をつかみ、地元出身のスターとして愛される存在になったため、選んだ選択は間違いではなかった。

「何を食べるかではなく誰と食べるか。何を着るかではなく、誰が着るかが大事というのが、僕のポリシーとしてずっとあります。人としていい男になってもらいたいとずっと思っていました」

 そう話す龍一さんは、サッカーに関して口を挟まないが、2人の態度、振る舞いには今でも厳しい言葉をかける。昨年、海舟が地元に帰ってきた際は、龍一さんが務める建築会社の社長に「息子は社会を知らないから教えてほしい」とお願いして、4日間自らと同じ仕事をさせた。

「同じ金額でも、プロサッカー選手として稼ぐお金と、1日8時間労働して稼ぐお金では重みが違う。仕事を通じて、自分がいる場所がいかに恵まれているか気づいてほしかった」(龍一さん)

 父の想いを知ってか、海舟は当時稼いだお金は使わず、今でも封筒の中に入れたまま置いているという。

 プロになってからも2人が成長を続けているのは、龍一さんの教えもあるだろう。同時に「2人がプロになれたのは米子北に行ったから。ほかだとなれなかったと思うので、すごく感謝している」と龍一さんが口にするとおり、出会う人々にも恵まれた結果、2人の兄弟はスクスクと育っていった。

「プレースタイルも違うのでポジションが被らない。あいつらが組んだら、面白いですよね。2人が一緒に出ている姿を見てみたい」と城市総監督は笑う。だが、フル代表のピッチで揃い踏みする日も今の活躍ならあり得ない話ではない。

著者プロフィール

  • 森田将義

    森田将義 (もりた・まさよし)

    1985年、京都府生まれ。10代の頃から、在阪のテレビ局でリサーチとして活動。2011年からフリーライターとしてU-18を主に育成年代のサッカーを取材し、サッカー専門誌、WEB媒体への寄稿を行なう。

◆【画像】佐野海舟の鹿島アントラーズほか、J1全18チーム序盤戦フォーメーション

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