今Jリーグで最も注目の佐野海舟・航大兄弟 「兄は内弁慶。弟はお調子者」父が語る幼少期からの成長ストーリー (2ページ目)
【ボール奪取に長けた海舟】
中学時代の海舟はプレーの派手さはないものの、試合で目立つ選手だった。技巧派が揃っていた当時のチームにおいて、選手としての色が違ったためになおさらだった。米子北高校のスカウトを担当する城市徳之総監督は、初めて海舟を見た時の印象についてこう振り返る。
「コースをわざと空けて出させたパスを奪ったり、相手と駆け引きしながらボールを奪うプレーがうまかった」
岡山県内にも強豪校はあったが、幼少期から龍一さんに「プロになりたいなら、家から出なさい」と言われていたため、卒業後は県外へと進むつもりでいた。ただ、海舟の第一志望だった関西の強豪校からは特待での入学が認められなかったため、中学3年生の11月になってから、いち早く声をかけてくれていた米子北の練習に参加した。
ひた向きにサッカーと向き合う米子北の選手に心を打たれた海舟は、帰り道に「米子北に行きたい。(決めるのが)遅くなってごめん」と龍一さんに泣きながら、電話をかけてきた。想いの丈を知った龍一さんも泣きながら、「お金のことは俺が何とかする」と返し、「航大もいるから金銭的に大学は難しい。高校3年間でサッカー選手としてのチャンスを掴みなさい」と続けたという。
佐野海舟は米子北で1年目からレギュラーを獲得 photo by Morita Masayoshiこの記事に関連する写真を見る「身体は華奢だったけど、昌子源(同じく米子北OBで現在は鹿島アントラーズ)と同じでボールを奪って終わりではなく、奪ってちゃんとマイボールにできる選手だと思った」と、米子北の中村真吾監督からも高い評価を受けた海舟は、1年目からレギュラーを獲得。2年目からは高校年代最高峰の「高円宮杯プレミアリーグU-18」でプレーし、プロのスカウトからも注目される選手となった。
高校3年生の5月にはJ2クラブの練習に参加したが、色のよい返事はもらえないまま時間だけが流れていく。夏ごろには「プロから声がかからないから、大学に行きたい」と海舟に相談されたが、龍一さんはあえて厳しい言葉を突き返した。
「先生になりたいとか、大学を出ないと就けない職業に就くのであれば行かせる。でも、あと4年間サッカーをさせてくれというのは、約束と違う。今、覚悟が決まっていないヤツが4年後に挑戦したいと言っても無理だと言いました」
父の言葉によって目の色が変わった海舟は、FC町田ゼルビアの内定をつかみ取った。
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