最終目標は「槙野ジャパン」監督・槙野智章は「J2かJ3で何年か下積みをして、J1に挑戦したい」
槙野智章インタビュー(後編)
◆前編はこちら>>「ネットで書かれるのは、まったく何も感じない」
◆中編はこちら>>ポジティブな槙野智章が現役生活で「やり残したこと」
槙野智章は2022年、サッカー解説者として中東カタールまで飛び、ワールドカップというサッカーの最前線を目の当たりにしてきた。
その現場で感じ取ったのは『チーム戦術の前に、個の能力を上げなければいけない』ということ。指導者の道を志す槙野にとって、ワールドカップは大きな刺激を与えてくれたという。
ジュニアユース時代から含めるとサンフレッチェ広島で11年間を過ごし、ドイツのケルンを経て、浦和レッズで10年、そしてヴィッセル神戸でまた違った世界を知った──。多種多様な指導者から肌で学んだことを、次なる『槙野劇場・第二章』でどう生かそうとしているのか。
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槙野智章が語った「第二章」とは?この記事に関連する写真を見る── そもそも、槙野さんはどうして指導者になりたいと思ったんですか。
「最初に思ったのは、ミシャ(ペトロヴィッチ監督)と出会ってからですね。面白いサッカーをするなと。自分がやりたいことを選手が表現して、試合に勝ったあとのミシャの笑顔を見ると、監督ってすごくやりがいがある仕事なんだなと感じたからです。
ミシャだけではなく、アカデミー時代も、プロになってからも、いい指導者に出会えたことが、大きいですね。ゴリさん(森山佳郎)も、森保(一)さんも、ミシャもそう。指導者って面白いとか、カッコいいと思えた人に出会えたことが、指導者になりたいと思った理由です。
逆に質問していいですか。僕が指導者になると聞いた時は、どう思いました?」
── ちょっと、意外だなと。タレントになるのかと?
「これは別に批判しているわけではないですよ。サッカー選手が引退して、テレビに出たいですとか、タレントになりたいですって言っている人がいるじゃないですか。それは現役中に経験していないから。
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著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。