「普通の男の子に戻りたい」と本気で思った。レジェンドたちの高校サッカー大座談会 (3ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao
  • 山田真市/アフロ●写真 photo by AFLO

伝説の史上最強チームの実像

――山田さんが主将だった時の清水商は、高校サッカー史上でも最強チームのひとつとして伝説になっています。インターハイと全日本ユースのタイトルを取りながら、選手権は3回戦で大宮東(埼玉)にPK負けでした。

森崎「名波(浩、元ジュビロ磐田など)さんがいて、大岩(剛、元鹿島アントラーズなど)さんがいて、僕、当時のスタメン全員言えますよ」

江原「スター選手が多かったなかでも、山田さんの存在感は別格でした。エンジンが違うというか、瞬間的な速さがハンパなくて。あとにも先にも、あんな衝撃はなかったです」

森崎「ボールを持ったら、とにかく縦に仕掛けるみたいな」

山田「一度、国見(長崎)の小嶺(忠敏)先生に『オマエ、ドーピングでもしているのか?』って真顔で言われたことがあったからね(笑)。でも、インターハイと全日本ユースを獲ったけど、選手権で負けているので、最強じゃない。2回戦の市船戦、3回戦の大宮東戦もPK戦で、オレらがどっちに蹴るかはぜんぶ相手に研究されていた。だから、PK戦になった時点で負けたようなものでした。

 そもそも、あの年は推薦での出場(アジアユース選手権に選手を出していた清商、武南、習志野、国見が予選を免除された)で、オレは草薙競技場でプレーしたかったのに、そこが省かれてしまった。ケガで予選があっても出るのは難しい状況でしたが、インターハイ、全日本ユース、ベイブリッジ杯など、とにかく日程がハードすぎて、レギュラーでまともにプレーできる状態だったのは3、4人しかいなかった。名波、大岩、薩川了洋(元柏レイソルなど)、1つ下には重良(望月、元名古屋グランパスなど)もいたし、力はあったのかもしれないですが、満身創痍で選手権の時には疲弊しきってしまっていたんですよ」

――山田さんは高校卒業後、日産自動車を経て、横浜マリノス(現横浜F・マリノス)などJリーグでも約10年間プレーされました。一方で、平澤さんと江原さんはプロ入りせず、森崎さんはジェフ市原(現ジェフ千葉)に入団するも、わずか2年間で退団。その後のキャリアについて聞かせていただけますか。

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