「普通の男の子に戻りたい」と本気で思った。レジェンドたちの高校サッカー大座談会 (4ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao
  • 山田真市/アフロ●写真 photo by AFLO

平澤「オレの時代は、そもそもプロがなかったし、サッカーで食べていくなんて思ってもみなかったから。日本リーグ(JSL)もお客さんが入っていなかったし、サッカーを少しやったら会社に残って生活していくつもりでした」

山田「当時はそういう時代でしたよね。平澤さんの3つ下のオレの世代だって、高校卒業時にJリーグができるのはわかっていましたけど、まだ始まってもなかったし、どうなるかもわからないから、とりあえず大学に行こうって人がほとんどでした。名波も大岩も大学経由でのプロ入り。同期で実業団からJリーグに行ったのは、オレと薩川と森島(寛晃。東海大一OB、元セレッソ大阪)くらいでした」

――平澤さんは高校卒業後、トヨタ自動車に就職し、名古屋グランパスの母体となるJSLのトヨタ自動車(サッカー部)でプレーされていました。

平澤「ちょうど入社した時に、チームは2部に落ちたんです。3年目にJSLの1部に上がったけど、1部では2点とっただけで、その2点目をとった時にケガをしてしまって。91年にコニカカップでトヨタは優勝しているんですが、その時はもうリハビリ中でチームを離れていました。正直、高校選手権でサッカーはやりきった感もあったし、そんなにモチベーションもなくて......。リハビリ中に走る練習ばかり要求されて、コーチとモメてスパイクを手にグラウンドを出ちゃったんです」
(つづく)

プロフィール
平澤政輝(ひらさわまさき)
1969年4月25日生まれ。大河FC→東海大一高→トヨタ。65、66回大会の2度の高校選手権で計10ゴールを挙げて、優勝&準優勝に貢献。高校卒業後にトヨタに進んだが、ほどなく引退。現在はトヨタ自動車株式会社、東富士研究所勤務

山田隆裕(やまだたかひろ)
1972年4月29日生まれ。清水商業1年時の67回大会の市立船橋との高校選手権決勝で決勝ゴールをマーク。日産を経て、横浜マリノス、京都、ヴェルディ川崎、仙台と渡り歩き、03年に引退。J1出場224試合20点、J2出場47試合3点。国際Aマッチ1試合出場

江原淳史(えはらあつし)
1974年4月14日生まれ。東浦和中→武南高→中央大(中退)。70、71回大会の高校選手権で計11ゴールをマーク。3年時の71回大会では8ゴールで得点王、エースとして名門武南をベスト4に導いた。現在はアヴェントゥーラ川口(関東2部)の理事、ジュニアユース監督を務める

森崎嘉之(もりさきよしゆき)
1976年4月20日生まれ。市立船橋卒。73回大会の高校選手権で8ゴールを決め、市船の初優勝に貢献。ジェフ市原(現千葉)に2年間所属も、リーグ戦出場はなし。中古車販売会社などを経て、15年からドリームサッカースクール(千葉県八千代市)代表。児童や中学年代にサッカーの楽しさを教えている

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