真夏の高校サッカー大座談会開幕。80~90年代の「国立のヒーロー」たちが集まった (3ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao

「やっぱりサッカーが好き」

 高校までは努力しなくてもできちゃった――。そう話す森崎は、ジェフに2年間在籍するも、試合への出場はナビスコカップ(ルヴァンカップ)の1試合のみ、出場時間はわずか4分ほどだった。

「それまでは感覚だけで点をとっていましたが、プロになれば相手の身体能力も高いし、難しさは感じました。もちろん、自信がまったくないわけでもなかったですが、自分が調子いいと思っても使ってもらえず、『なんでアイツが......』って不貞腐れてしまったり。まあ、すべて試合に出られない選手の偏見でしかないんですけどね。

 そんな状態で、高校までは楽しかったサッカーが、プロになって楽しくなくなってしまった。当時はJリーガーというだけでチヤホヤされた時代。食事に出掛けてもお金を払わずに済んだりして、遊んでしまいました」(森崎)

 ジェフを退団後は、旧JFL時代の水戸ホーリーホック、横河電機サッカー部(当時関東1部リーグ)にも籍を置いたが、23歳でスパイクを脱いだ。

「そこからは約10年中古車販売会社で働いていましたが、やっぱりサッカーが好きなんですよ。いまは子どもたちに楽しくサッカーを教えたいなと思って、千葉県内でサッカースクールなどを運営しています」(森崎)

 そして横浜マリノスほか、京都パープルサンガ、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)、ベガルタ仙台と渡り歩き、Jリーグで200試合以上に出場した山田は、引退後、メロンパンの移動販売業、スポーツバー店長など、サッカーとは距離を置きさまざまな仕事をしてきたが、近年はサッカースクールのコーチとしても活動している。

 今年1月に記念すべき第100回大会の高校選手権が行なわれてから半年余り。今回はかつて高校サッカーの聖地とされた国立競技場を沸かせたレジェンド4人に集まってもらい、当時から現在に至るまでの話をたっぷりと語り合ってもらった。
(つづく)

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