2020.09.20

変身して成長。レンタル移籍後に
日本代表まで上り詰めた5人の男たち

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by AFLO

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 日本サッカーのトップ・オブ・トップが日本代表だとすれば、そこでプレーする選手はエリート中のエリートと言える。彼らの多くは少年時代から抜きんでた存在として注目を浴び、プロ入り後も順調に成長を続けて日本代表にまで辿り着く。

 ただ、成功例は少ないものの、中にはプロ入りしてから壁にぶち当たり、所属チームで出場機会に恵まれずにレンタル移籍を経験し、そこから日本代表にまで這い上がった選手もいる。そんなケースとして真っ先に思い浮かぶのが、現在セレッソ大阪でプレーする柿谷曜一朗だ。

柿谷陽一朗はレンタル移籍で2年半、徳島でプレーした 2006年、セレッソの下部組織出身の柿谷は16歳でプロ契約を結ぶと、その年の11月にはクラブ史上最年少記録でJリーグデビュー。同年9月のU−17アジア選手権ではU−17日本代表の優勝に貢献し、大会MVPにも輝いた。

 ところが、チームがJ2に降格した2007年から、柿谷のキャリアが暗転し始める。

 同期入団の香川真司が、そのシーズンの途中から指揮を執ったレヴィー・クルピ監督の信頼を勝ち取る一方で、逆に柿谷は次第に評価を落とし、出場機会が減少。さらに翌年には横浜F・マリノスから加入した乾貴士が活躍したことで、ますます柿谷の出番は失われていったのだった。

 クルピ監督から度々指摘されたのは、プロとしての自覚の無さだった。とりわけ練習に遅刻する癖はメディアでも報道されるようになり、指揮官も公(おおやけ)の場で柿谷を批判。もはやセレッソでの居場所は完全に失われた。

 2009年6月、ついにセレッソは、柿谷のJ2徳島ヴォルティスへのレンタル移籍を発表した。それまでエリート街道を歩んできた柿谷にとって、当時J2の下位チームだった徳島への"左遷"は屈辱以外の何物でもなかったはずだ。

 しかし、その挫折をバネにして、柿谷はプロフットボーラ--として見事に生まれ変わって見せた。