ワシントンが語ったゴール量産の秘密。常に「人生最後の試合」だった (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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 その後、Jリーグの開幕戦でもゴールを決め、そのシーズンは32試合で22ゴールをマークした。ヴェルディのこのシーズンのゴールの合計が40であったので、ワシントンはその半数以上をたったひとりで決めたことになる。

 ワシントンの活躍にもかかわらず、ヴェルディはJ2に降格するが、その年J1で2位だった浦和レッズが彼の獲得に乗り出し、翌年から彼はレッズの一員となった。

 新たなチームで、ワシントンはすぐにタイトルを勝ち取る。2006年元日の天皇杯決勝ではプレーしなかったが、2月のスーパーカップでレッズはガンバを下し、勝利した。ワシントンは0-1でリードされていたレッズに同点ゴールをもたらし、勝利への弾みをつけた。

 前年2位のレッズはもちろん優勝を狙っていた。だからこそ彼らはワシントンを獲ったのだ。2006年、レッズを日本の頂点に率いたのはワシントンだった。26試合で26ゴールを決め、その年のJリーグ得点王になった。

 翌2007年は、前年に比べると調子は落ちたが、それでも16ゴールを決めている。リーグ戦でレッズは鹿島アントラーズに及ばず2位となった。

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