神戸リージョ監督が見た日本。
「しょうがない」という言葉に思うこと (3ページ目)
ただ、改善する必要もある。これはスペインメディアにも話したことだが、『しょうがない』という日本語には考えさせられた。それはあきらめるという知性なのかもしれない。フットボールよりも重要なことはある。健康や家族はそうだろう。ただ、プレーしている間の『しょうがない』はあり得ない。失点して、『しょうがない』はあってはならないんだよ。次の日、切り替えるというのはわかるが......」
厳しいプロの世界を生き抜いてきたリージョにとって、甘さにも見えるのだろう。しかし、彼は常に前向きにトレーニングしている。日本人の可能性を誰よりも信じているのだ。
「選手はそれぞれ違う。人によっては目覚めが遅い場合もある。キャラクターやポジションによっても、ね。だから、私は選手を挑発する。とくに後ろの選手はおとなしくしていてはいけない。日本人はあまりに落ち着いているところがあるから」
リージョは選手との挨拶で、わざと肩をぶつけたり、足を踏んづける。コミュニケーションのひとつである。挑発し、覚醒を促すのだ。そこには、選手に対するとびっきりの敬意と愛情が見える。
――監督としての幸せとは?
そう訊ねると、リージョは少し照れ臭そうにこう答えた。
「それはあまりない。だって、自分はずっと選手になりたかったし、いまもその思いは残っているから。サラマンカで(最年少監督として1部に)昇格した時でさえも、自分が選手としてプレーすることのほうに幸せはあった」
ボールを蹴られることへの純真な気持ちが消えない。それが、リージョを名監督たらしめているのだろう。来季のリージョ神戸に注目すべきだ。
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