在籍わずか3年でも、安英学の引退セレモニーが新潟で開催された理由 (3ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko  photo by Nikkan Sports/Aflo


 互いの無知と偏見こそが差別を生む。安の存在は日本人と在日コリアンを顔の繫がる者どうしとして結びつけた。これらの動きは大きなうねりとなっていく。

 新潟在住で在日三世の呉泳珠さんが安の後援会を作ろうと動き出したところ、在日コリアンだけかと思われていた会員に、日本人からの申し込みが殺到した。手元に2003年に新潟テレビ21が制作したドキュメンタリー「在日朝鮮人Jリーガー」のDVDがある。J1昇格を目指すアルビレックス新潟のメンバーとして闘う安の日常を追ったものであるが、当時の安の後援会を支える日本人サポーターの声がふんだんに使われている。

「正直、僕はサッカーを全然知らなかったんですよ。それでスタジアムに行ったら、真っ先に目に飛び込んで来たのが、英学だったんです」

 Jリーグにも、在日韓国・朝鮮人問題にも関心のなかった日本人の心を動かすものが、そのプレーに宿っていた。小学校低学年と思われる少年は「安選手のどんなところが好き?」という質問にこんなふうに返した。「転んでもすぐに立ち上がるところ」。安にとって最高の褒め言葉だった。

『これ!AN後援会』は横断幕を作った。(言うまでもなく、「これ!AN」はコリアンをかけている)記された文字は「心はひとつ」だった。在日も日本人も心はひとつ。

 後援会は行動もひとつだった。2005年2月に埼玉スタジアムで行なわれたW杯ドイツ大会アジア最終予選、日本対北朝鮮の試合においても新潟の日本人サポーターたちは北朝鮮のゴール裏でこの横断幕を掲げて安のために声を枯らした。サッカーとは関係のないマスメディアの興味本位の質問が安や李漢宰(リ・ハンジェ、当時サンフレッチェ広島)に投げ掛けられていた頃である。

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