ベルマーレとフジタ。暗黒時代を
生き延びたからできた「幸せな再会」 (5ページ目)
もうひとつ、フジタの話をしておかなければならない。
スポンサー契約の発表会見のあと、金子賜(たもう)副社長は「我が社もここまで戻ったということです」と語った。そう、あのときフジタもまた、存続の危機に瀕していたのである。
ベルマーレへの出向を解かれ、フジタに復帰した寿原は関連会社を整理する仕事にあたった。それが、大きな心労を伴う業務であることは言うまでもない。その過程では金融機関の指導のもと、理不尽な思いをすることもあった。2002年に不採算の不動産部門を切り離す作業を終えるまでの3年間、寿原が過ごした日々もやはり「暗黒」だったに違いない。
会社分割を区切りとして寿原は退社したが、フジタのサバイバルがそこで終わったわけではない。"親会社"は銀行から外資ファンドへ変わり、それでもなお再建の道は続いた。そんな坂道を不安な面持ちでフジタの社員は歩き続けたのだ。
大和ハウスグループ傘下に入り、好況の追い風を受けて業績が回復したのはここ数年のこと。その間、苦闘は続いていたのである。
金子が「ここまで戻った」と言ったのはそういうことだ。この18年、"生き残りをかけた挑戦"を繰り広げてきたのはベルマーレだけではない。ベルマーレを手放したあと、始まったのはフジタのサバイバルでもあったのだ。
フジタを主語にストーリーを綴り直すなら――それでもフジタは存続した。と結ばれる物語だ。
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