2012.12.05

【Jリーグ】名波浩が語る、偉大なる「ゴン・中山」の思い出

  • photo by Tsukida Jun/AFLO SPORT

日本を代表するゴールゲッター中山雅史がついに引退した。 12月4日、中山雅史選手(コンサドーレ札幌)が引退を発表した。

 話を聞いたのは、その前日だった。中山さんから連絡があって「もう(サッカーを)辞めるわ」と、明るい声で話していた。そんなトーンだったので、こっちが電話口で涙を流すのもおかしいと思って、努めて感傷にひたらないように「お疲れさまでした」とだけ言わせてもらった。ただ、余りにも偉大な人過ぎて、なんて言葉をかけるのがいいのか、わからなかったというのが、正直なところ。

 中山さんのことを初めて見たのは、中山さんが在籍していた藤枝東高(静岡県)が全国高校サッカー選手権に出場したときだった。藤枝市生まれで、当時藤枝の小学校に通っていた自分にとっては、地元高校の晴れ舞台出場に胸が躍った。藤枝市役所から出発する地元からの応援バスに乗って、藤枝東の試合を見に行ったのを今でもよく覚えている。

 そこで、中山さんが見事にゴールを奪った。チームも勝利して、それからはもう憧れの存在になった。その後も、ずっと中山さんの動向は知っていて、日本代表に名を連ねたときには、完全に地元のヒーローになった。憧れというか、その頃からは尊敬の気持ちがますます強くなっていった。

 そして1995年、ジュビロ磐田に入団した自分は、中山さんと一緒にプレイすることになった。

「本当に下手くそな選手だなぁ」と思ったのが、最初の印象。中山さんは当時も日本代表でバリバリ活躍していたから、「何でこの人が代表なんだろう」と心底驚いた。そのため、中山さんとの出会いは、その疑問を検証しようという思いから始まった。が、その答えはすぐに見つかった。中山さんのサッカーに対する探求心、向上心というものが異常に強かったのだ。自分が点を取るために、そしてチームが勝つために、やることはすべてやる、という姿勢を貫いて、どんなことにも貪欲にチャレンジしていた。

 そのためには、年下だろうが、若い選手だろうが関係なく、アドバイスを求めてきた。そして、努力することを厭わなかった。とにかくサッカーがうまくなりたい、点を取りたい、勝ちたい、という気持ちが強い人だった。

 結果、中山さんは30歳を過ぎてからもどんどんうまくなった。特に、オフ・ザ・ボールの動きの質は一変した。動き出しはもちろん、相手DFとの駆け引きなどは抜群だった。そうした動きのレベルが上がったことで、もともと凄まじかったヘディングの技術が、より生かされるようになった。157得点というJリーグ歴代1位の数字はもちろんのこと、そうやって人に使われる術、というものをどんどん向上させていったことが、何より素晴らしいな、と思う。