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【サッカー日本代表】AFC U23アジアカップでベテランライターが思い出す29年前 入国困難なサウジアラビアで試合を観た (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【1997年は入国ビザ取得が極めて困難だった】

 ジッダでは日本代表の試合やAFCチャンピオンズエリートの決勝大会も開催されたので、今では日本のサポーターにもお馴染みの街となっている。

 しかし、僕が初めてジッダを訪れた頃は、入国するだけでも大変だった。

 それは、1997年のフランスW杯アジア1次予選の時だった。

 この年のアジア予選。1次予選は各組ともダブルセントラル方式で行なわれた(たとえば、日本のグループ4はオマーンの首都マスカットと東京)。そこで、僕は1次予選から日本のグループだけでなく、各強豪国の試合を観て回ることにした。

 最初は2月に香港で行なわれた韓国のいるグループ6。そして、3月にはマレーシアまでグループ1の試合を観に行った。サウジアラビアが入ったグループだ。

 そして、マレーシアからそのまま移動して、日本のグループのオマーンラウンドを観戦。僕は、その足でサウジアラビアに行ってグループ1のサウジアラビアラウンドを観戦しようと思っていた。

 だが、サウジアラビアの入国ビザ取得はきわめて困難だった。

 当時、サウジアラビアには観光ビザというものがなく(観光ビザが取れるようになったのは2019年秋)、ほぼ鎖国状態。ビザを取るにはサウジアラビアの政府や企業からの招待と内務省の許可が必要だった。

 さて、どうするか......。

 僕は1996年にアラブ首長国連邦(UAE)でアジアカップがあった時に知り合った、ゾラン・ジョルジェヴィッチのことを思い出した。当時、ドバイのアル・ナスルで監督をしていたセルビア人コーチだ。彼は、ずっと中東で仕事をしており、サウジアラビアの監督の経験もあるので、サウジアラビアのサッカー連盟とも親しいと言っていたのだ。

 そこで、僕はゾランを通じてサウジアラビア連盟にビザを頼んで連絡を待っていた。招請状が来たら、東京かオマーンの大使館でビザを取ろうと思っていたのだ。だが、一向に連絡が来なかったので、僕はあきらめてオマーンから日本に帰国するつもりでいた。

 すると、オマーンラウンドの最終戦、日本対ネパール戦の前日になって「ビザが取れた。ビザはジッダ空港の入国審査場に用意されているから直接空港に来い」というFAXが来たのだ。

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